1996年9月 No.18
 
「生命誌」から見る科学技術論

  40億年生き続けてきた生物の営みに21世紀の技術の在り方を学ぶ

 

 

 (株)生命誌研究館副館長 中村 桂子

●ヒトと技術の生物学的位置付け

 
  生き物を研究していると、おもしろいこと、なるほどと思うことにたくさん出会います。地球上にはおよそ5千万種の生物が棲息していると考えられますが、特に強く打たれるのは、そのひとつひとつがそれぞれの特徴と能力を生かして一生懸命生きているということです。
  最近は自然との共生ということが盛んに言われますが、生物にとっての原則はまず自分が生きることであって、単に仲良くするといった甘ったるい意味での共生は生物の世界には有り得ません。共生とは、一生懸命生きている生物同士が競争し合って、お互いのよいところを見出し合った結果初めて可能になることで、競争の能力を持たない生物に対して自然はむしろ非常に厳しいと言えます。
  生物としてのヒトは、運動能力も防衛能力も低い力の弱い存在です。二足歩行で自由になった手と大きな脳、複雑な言語を話せる声帯、物を立体視できて色を識別できる眼という3つ能力がなかったら、とうに絶滅してしまったかもしれません。人間はその能力を生かして様々な技術を生み出し今日まで生きてきました。これが生物学的なヒトと技術の位置付けです。共生は大切ですが、それは技術を捨てることではなく、思い切り技術を使って、その上で探ることです。
 

●生物が教えてくる資源問題解決のヒント

 
  とはいえ、20世紀に入ってからの人間の技術が、ヒトが生きて行くための能力という本来の姿から逸脱してしまったことも否定できません。そのことに気づいて、今ようやく技術の見直しが始まっているわけですが、私の関心は、人間が生物として与えられた能力をフルに生かしながら、しかも、環境問題や資源問題といった現代の人間が引き起こしている様々な問題を解決して生きていくには、どんな技術が必要なのかということです。その重要なヒントは生物の営みの中から汲み取ることができます。
  例えば石油は、自然界が与えてくれた素晴らしい素材です。あの炭素の繋がりは人間には再現できません。それをうまく使いこなしていくのは有効な技術のひとつであり、燃料として燃やすより、塩ビなどのプラスチックとして利用するほうがその本来の使い方と言えるでしょう。
  問題は、それほど大事なものを使い捨ててしまうこと、真の利用まで人間の技術が進んでいないということです。今リサイクルが叫ばれているのを、単に環境問題として見るのではなく、資源問題として見たいと思います。燃やすのは、せっかく繋がっている炭素をいっぺんで無くしてしまうわけですからもったいないことで、全体のエネルギーバランスを考えた上で、資源としてなるべく生かす方法を考えていただきたいと思います。
  塩ビも燃やさなければ塩化水素ガスも出ず、逆に塩素の固定源として有効な製品という見方もできます。生物が陸上で生きていられるのは故郷の海を体内に持ち込んだからであり、その中に存在する多くの物質は生物にとって必要なものです。但し、ある程度以上にあってはいけない。要はバランスの問題なのです。最近、塩化水素の問題から塩ビ廃止論なども出ているようですが、塩素だけを捕まえていい、悪いを議論するのはあまり意味のあることとは言えません。あくまでバランスの問題として論じるべきだと思います。
 

●リサイクルより「サイクル」が基本

 
  生き物の営みを見ていると、リサイクルという発想も実は誤りなのではないかという気がします。リサイクルは、必要な物(製品)と廃棄物を区別して廃棄物を再利用しようという考え方ですが、生物は次々と必要な物を作り、最後の最後まで廃棄物を出しません。
  生物体は炭素の繋がりでできていますが、自分で炭素を繋げられるのは光合成を行う植物だけ。動物は植物から糖分や澱粉を採り入れ、そこから蛋白質やエネルギーを得て生きている。その時、必要なものを順番に作りながらグルグル回していく。例えば、糖のサイクル、TCAサイクルは生き物を支える基本です。
  つまり、生物の営みはリサイクルではなくサイクルなのです。生物がその誕生以来40億年もの長い間生き続けてこられたのは、地球という有限な世界を恰も無限であるかのごとくに利用してきたからにほかなりません。それにはいくつかの方法がありますが、まず第1に挙げなければならないのが、
 このサイクルという能力です。
  もちろん、リサイクルという発想がひとつの進歩であることは間違いありませんが、これからの人間にとってほんとうに必要なのはサイクルの発想だと思います。人間は、その技術力によって自分たちに必要なものだけを作り続けてきた結果、これ以上はやっていけないところまで追い詰められ、リサイクルに迫られています。しかし、そこをもう一歩進めて、「すべてのものをサイクルで使う」という発想を持つことが本来の技術でしょう。そういう技術を開発することがこれからの人間のテーマであり、必ず開発できる興味深い挑戦だと思います。
 

●高分子技術者は「可塑性」を持って

 
  有限なものを恰も無限であるかのように利用するもうひとつの方法は「組み合わせ」です。世界の人口は約50億人、これに対して人間の遺伝子の数はせいぜい10万程度に過ぎません。今問題になっ
 ているO−157などの大腸菌で数千、その他の動物でも数万といったところです。それが5千万種の生物を作っていて、しかも多細胞生物ではひとつとして同じ個体は存在しない。それは遺伝子の組み合わせによって可能になっているのです。
  DNAを基本にした組み合わせの方法が決定したのは30億年ほど前のことで、それ以前はおそらく様々な模索の時期が続いたに違いありません。それに比べれば、大もとのチップは同じなのにメーカーの違いで製品を組み合わせることができないコンピュータなど、まだ生命の起源以前の技術と言っ
 てもいいわけです。まだまだ改良の余地がある。
  3つ目の方法としては可塑性が挙げられます。プラスティスティー、つまり状況や場面に対応できる能力。これは人間の脳を考えれば分かりやすいでしょう。日本に生まれれば外国人でも日本語を話し、外国に生まれれば日本人でも外国語を話すようになる。この可塑性という能力によって生物は各所に適応してきたわけです。ちなみに、プラスチックという名称は、何にでも自由に加工できるその可塑性に由来しているわけで、この分野の技術者に可塑性を持っていただきたいと思います。
 

●進歩と進化の融合の中から

 
  生物は続いてきた。そこから技術の在り方を学ぶ意味はあると思います。生き物の歴史は、進化の歴史であると同時に絶滅の歴史でもあります。生存の枠組みから逸脱した生物は多くが滅びています。
  この先、生物がすべて絶滅することはないでしょうが、人間という種が滅びることは有り得ます。人間がこれからも存在し続けるためには、40億年も本質を変えずに生き続けてきた生物の歴史の中から未来を考える必要があるのです。
  幸い20世紀に入ってから、技術開発の進歩と平行して、生き物のメカニズムや進化の様子が究明されてきました。その代表がDNA研究です。能率や普遍性、量を重視するのがこれまでの技術の進歩なら、試行の過程や多様性、質が重要であるのが生物の進化。21世紀はこのふたつの融合とバランスの中から、新しい技術を創り上げる時代です。ぜひ、一緒に仕事をさせてください。
 
略 歴 中村 桂子(なかむら・けいこ)
昭和11年生まれ、東京出身。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学科終了。国立予防衛生研究所、三菱化成生命研究所、早稲田大学教 授などを経て、平成5年、大阪府高槻市に「新しい生命科学の体験の場」として生命誌研究館を設 立。生命の歴史と相互関係を遺伝子(ゲノム)の中に読み解く生命誌(バイオヒストリー)の研究 に世界の注目が集まっている。主な著書に『自己創出する生命』(毎日出版文化賞)、『生命のスト ラテジー』、『ゲノムを読む』、『女性のための生命科学』、『あなたの中のDNA』など。