1996年9月 No.18
 

   塩ビのリサイクル実現へ、前向きに着実な歩調で 

 

  この6月の通常総会で、当協議会の新会長に就任した東亞合成株式会社代表取締役社長の専田 彬氏(塩化ビニル工業協会会長)。さっそく、新任の抱負と今年度の活動のポイント、塩ビリサイクルへ向けた海外協力の在り方などを語ってもらいました。
 

●  環境対応なしの製品は製品ではない

 
  −まず、塩化ビニルリサイクル推進協議会会長としての抱負をお聞かせください。
  まだ就任早々でいろいろと勉強しなければならないことが多いのですが、とにかく塩ビのリサイクル、環境問題は塩ビ業界の死命を制する重要な課題であり、環境問題に対応できない製品を作っても、それは作ったことにならないというのが私の信念です。
  業界には問題が山積していますし、私の任期中にそのすべてが解決できるとも思いませんが、業界の皆さんの協力でなんとか信念に沿う仕事をしていきたいと考えています。前向きに一歩ずつ進めば、問題は必ず解決できると信じます。

 

●  塩ビ世界会議(ブダペスト)に期待

 
  −今年はハンガリーのブダペストで塩ビ世界会議が開かれるようですが、塩ビ業界の課題を解決するためには海外との連携もますます重要になってくるのでは?。
  塩ビというのは今申し上げたように実に多彩な特色を持った素材なのです。塩ビ樹脂は1838年、フランスのM.V.Regnaultによって発見された後、1914にはGriesheim社が工業化の基礎を作り、1935年からドイツのIG社により本格的な生産が始まりました。我が国でも1940年には早くも日本窒素肥料が市販を開始しています。これだけの長い歴史を持つことから考えても、塩ビがいかに有用な樹脂であるかが分かります。廃棄物問題や塩化水素の処理技術などクリアしなければならない課題はありますが、塩ビを使わないといった一部の議論だけで片がつく問題だとはとても思えません。
  何よりも塩ビ廃棄物をいかに安全に処理するかを考えること、そして、塩ビを使わないといった誤った議論が起こらぬよう塩ビに対する正しい理解を得ることが必要なのです。こうした課題を解決するため日米欧の塩ビ関係者は世界規模で情報や技術の交換を進めてきましたが、今年は従来の『3極会議』を『世界会議』という名称に変えて連携を強化していく方針で、9月末にはハンガリーのブダペストで、また来年は日本で2度目の会議が開催される予定です。これは非常に重要な会議です。
  今年は3極間でインターネットによる情報交換も開始されることになっていますし、塩ビ廃棄物問題の解決へ向けた世界的な協力はますます緊密になっていくと思います。
 

●  伊勢湾台風で学んだ「前向き」の精神

 
  −これからますますお忙しくなりそうですね。
   忙しいことはいっこうに気になりません。むしろそういう時ほどやる気が出てきます。話は違いますが、私は生まれも育ちも東京なのですが、昭和26年に入社してからは32年間も名古屋にいましたので、実際は東京生まれの名古屋育ちと言ったほうがいいかもしれません。それはともかく、その名古屋時代に、昭和34年の伊勢湾台風で家庭も工場も壊滅的被害を蒙るという人生最大のショックにぶつかりました。
  あの時は文字どおり夜も寝ないで復旧に取り組みましたが、それ以降、困難にぶつかったり、自信を失いそうになる時はいつもあの伊勢湾台風の時を思い出すのです。あの苛酷な経験に比べれば、それ以後の困難など取るに足りない。そんな感じがします。私はあの時の経験で、過去にこだわらず前向きに取り組むことの大切さを肌身に刻みました。そういう意味で、あれはやはりいい経験だったのだと思います。
   −たまには息抜きの時間も欲しくなりませんか。
  若いころはスキーや登山もやりましたが、最近は時間の許す限り本を読んでリフレッシュしています。近頃読んだ本では塩野七生さんの『ローマ人の物語』に感銘を受けました。ディック・フランシスなんかのミステリー物もよく読みます。
  それから、名古屋にいたころは一時バラ作りに凝ったこともあります。最近は暇がなくてとても手が回りませんが、将来暇ができたら、もういっぺんバラ作りに挑戦してみたいですね。
 
■略歴 專田 彬(せんだ・あきら)
昭和5年東京生まれ。慶応大学工学部卒。同26年東亞合成(株)入社。同58年取締役技術部長、平成元年常務取締役、同5年専務取締役を経て、同7年3月取締役 社長に就任。同8年5月から塩化ビニル工業協会会長、6月からは塩化ビニルリサイクル推進協議 会会長を兼任。