2016年6月 No.97
 

伝えたい、セルロイドのこと経済、化学、生活を潤した世界最初のプラスチック産業文化遺産としての記憶を埋もれさせないためにセルロイドハウス横濱館  館長岩井薫生氏

 今回ご登場いただいたのは、高分子材料の研究開発支援・評価機関(株)DJKを経営する傍ら、横浜市でセルロイドハウスミュージアムを主宰する岩井薫生(いさお)氏。古今東西のセルロイド製品・文献の保存、紹介に取り組む岩井氏の活動は、産業文化遺産としてのプラスチック研究という新たな分野を開拓する、まさしくさきがけ人そのもの。

●スクラップ・アンド・ビルド

■セルロイドとは?

J.ハイアット
J.ハイアット

 世界最初の高分子プラスチックで、主原料は硝化綿と樟脳(可塑剤)。発明者については英国人のアレキサンダー・パークスなど諸説あるが、米国人のジョン・ハイアットが1870年にセルロイドという言葉を商標登録し、象牙の代替品としてビリヤードボールを開発して以降、コルセット、義手義足など、急速に普及が進んだ。
 日本でも1877年頃には輸入が始まっており、1908年からは原料の国産化もスタート。全盛期の1930年代には文房具や趣味・工芸品、生活用品、玩具、キューピー、映画フィルム、レコード等25,000種類以上の製品に使用された。
 戦後、燃えやすく火災が頻発したこと、新しい樹脂として塩ビが登場したことなどで、次第に地位を失っていったが、近代日本の経済、化学産業、市民生活に与えたインパクトは大きい。

 かつては世界の産業界に一時代を画したセルロイドも、今では殆ど忘れられてしまいました。セルロイドというのは配合中に硝化綿と樟脳を使っているので、とにかく燃えやすい。業界でも他の可塑剤を探していろいろ研究したんですが、結局いいものが見つからず、段々と後発の塩ビ等ほかの樹脂に取って代わられていったわけです。いわゆるスクラップ・アンド・ビルドですね。すべて物事は変化するんで、それはそれで仕方がないことなんです。
 原料の国内生産も1996年以降完全になくなりました。2015年度の時点ではすべて中国からの輸入で、量も10トン以下程度。ここ数年でパチンコ台の装飾板やピンポン球が使えなくなって、今はわずかにギターのピックや高級めがねのフレーム、万年筆の軸などに使われているぐらいです。
 セルロイドは、舐めると暖かいんですよ。他のプラスチックより人間の皮膚と相性がいいんです。それと、硬くて、しかも柔らかいという性質もセルロイド特有のもので、卓球の選手に聞くと、強く打ってもヒビが入らないから、本当はセルロイドのほうが最近の合成樹脂製の球よりいいって言いますね。

●親子2代のセルロイド収集

 ここの建物は、元々DJKの研究所だった所で、新横浜に新しい研究所ができたので潰そうかというのを残して、しばらくは収集品や資料の保管庫に使っていました。父(岩井信次氏 故人)の代から2代に渡って収集してきたものですから、いつの間にか相当な量になっちゃいましてね。
 父は研究歴50年以上、ずっと高分子の研究をやっていた人間で、戦前は東京府立工業奨励館(現在の東京都立産業技術研究センター)の幹部でした。戦後もいろいろな大学で教えたり、セルロイド検査協会(現在の一般財団法人化学研究評価機構)の理事等の役員に就いたりしていた関係で、研究の必要もあってセルロイド製品を集めていたんです。
 僕のほうはというと、大学は経済学部ですが、日本ライヒホールド化学(大日本インキ化学工業(株) 現DIC(株))に就職した後、機会があって1961年から1年ほどアメリカで化学産業調査研究の勉強をしているうちに、父が「中小企業の技術開発をサポートする研究所を作るからお前も手伝え」ということで、1964年の4月に大日本樹脂研究所(DJKの前身)を共同設立したわけです。それがぼくの高分子研究支援事業の原点で、セルロイドも父に倣って自然に集めるようになりました。塩ビとか他の樹脂製品も初期のものからずいぶん集めました。文献類も含めて、みんな開発初期の貴重なものばかりです。

世界各地のグリーティング・カード これも世界のボタン・コレクション 昭和を思い出させる筆箱 マスクなどの医療用品も
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子どもに人気だったお面 櫛や髪飾りは女性の愛用品 象牙そっくりの工芸品 テレビ・アニメのセル画
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●化学産業の系統譜はセルロイド抜きに語れない

 高分子の研究支援事業に携わって今年で52年になりますが、研究すればするほどセルロイドの重要性がわかってくるんですね。日本の経済に与えたインパクトの大きさは計り知れないし、日本の化学工業メーカーの多くが何らかの形でセルロイドと関係していた歴史を持っている。化学産業の系統譜はセルロイドを抜きには語れないといえます。
 それで、何とかして産業文化遺産としてのセルロイドの記憶を留めなければと思って、セルロイドと社会の関わり、人々の生活や次世代の産業に与えた影響などを研究する目的で、甲斐学さん(元ダイセル副社長 故人)ほかセルロイド産業に関係した方々の応援を得て、一緒にセルロイド産業文化研究会という組織を2000年に立ち上げたのです。2005年には、保管しておいた収集品を公開して研究に役立ててもらうためにセルロイドハウス横濱館を開設し、2008年からは大阪セルロイド会館にも展示室を設けています。
 ここは研究の拠点であると同時に広報の窓口という役割も担っているので、研究者以外の人もたくさん訪れます。一般のコレクターはもちろん、お医者さんが初期の認知症の患者さんを連れてきたり、小説家が時代考証のために利用したり、いろいろですね。認知症の人は昔の音楽を聴いたりキューピーを見たりすると、それが刺激になって症状が改善することがあるんです。3階にはレコードのコレクションや、写真機や幻灯機のフィルムなどを展示しているので、そういう分野の専門家もよく利用します。今のところ一般参観は土曜日だけですが、学術関係の人には木曜日も特別公開しています。

■セルロイドハウス横濱館

セルロイドハウス横濱館

 正式名セルロイドライブラリ・メモワールハウス。セルロイド産業文化の研究・広報拠点として2005年3月に開館(横浜市港北区高田東1-1-20)。

セルロイドハウス横濱館  国内外の様々なセルロイド製品と加工機材(金型や工具など)、関係文献などを網羅的に収集し、学術文化団体や公的機関、個人のコレクターらと連携して文化遺産の観点から研究を行う一方、三階建てのビルの全フロアをテーマ別に区分して、収蔵品の展示、紹介を行っている(開館日は毎週土曜日10:00〜16:00)。セルロイド製品の収蔵点数10万点以上。貴重な文献も多く、文字通り世界有数のセルロイド博物館である。
http://www.celluloidhouse.com

●今も続く栄枯盛衰のドラマ

 結局、セルロイドハウスミュージアムのような取り組みが出てきたということは、それだけ産業が成熟したということなんですね。伸び盛りの産業ならそんなことをする必要もないんでしょうが、産業が成熟期に入ったら必ず歴史、記録を残していかないと、どんどん失われてしまいます。それを食い止めるには、隣接する研究団体や関心のある人々との連携が不可欠で、うちは産業考古学会や東京産業考古学会とも協力関係にあります。産業考古学の中では化学分野の収集・研究が遅れているので、お互いに必要としているわけです。それと、今年は葛飾区の郷土と天文の博物館がセルロイド特集をするというので(11月3日〜1月末)、これに協力して展示品やサンプルを貸し出すことも予定しています。葛飾には昔セルロイドの加工メーカーがたくさんあって地元の重要な産業だったんです。
 塩ビも、開発が始まっておよそ80年。そろそろ初期のサンプルとか研究資料の保存を考えるべき時期じゃないでしょうか。汎用樹脂としてセルロイドに取って代わった歴史を研究して、我々とネットワークを組めば、非常に水準の高い産業文化の記録になると思います。
 セルロイドは過去のものとなりましたが、セルロースティックな樹脂という意味では現在の生分解性樹脂の源流ともいえます。セルロイドの栄枯盛衰のドラマは今も続いているんです。

石鹸箱 セルロイドの歴史や製造法を紹介 金型の実物 資料室
セルロイドは戦前からリサイクルが行われていました。写真は使用済み品を再生した石鹸箱 セルロイドの歴史や製造法を紹介する1階の展示コーナー 同じく1階に展示されている金型の実物。金型の収蔵点数は1万点を超え、現在10年計画でリストを作成中 貴重な文献が自由に閲覧できる2階の資料室。セルロイド関係以外に、塩ビなど他の樹脂や海外の関連資料も充実している。

【取材日2016.4.16】

略 歴

いわい・いさお

 1937年、東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。樹脂メーカー勤務を経て、1964年高分子材料の研究開発支援と材料試験・評価を専門とする(株)大日本樹脂研究所(現(株)DJK)を設立。2005年、セルロイドハウス横濱館を開設して館長に就任。産業文化遺産としてのセルロイドの保存・研究に取り組む。セルロイド産業文化研究会代表理事。2000年、東京産業考古学会創立15周年記念表彰。