2012年6月 No.81
 

●細胞も自動車も等価

エアバッグで衝撃を吸収する「iSAVE」

 「お前は細胞の分析やったり自動車作ったりして、分野が全然違うじゃろが」って、よく人から言われるんですけど、でも、それはテーマが違うだけで、ぼくの中では何も変わらない。ぼくにとってはどっちも等価なんです。
 ぼくは大学が理学部だったせいで装置を作るのが大好きで、いろいろアイデアを考えながら、こういう装置があればそのアイデアがモノになるんじゃないかと思いつくと、自分で材料を集めてソフトやシステムを作っていく。それが面白くて仕方がないわけですよ。だから、何かを発想して、メカニズムを考えて、それを形にしていくという点では、細胞分析も自動車もぼくにとってはまったく一緒。何の違和感もないんです。

●世界初「X線光音響法」の発明

光音響法とX線光音響法
【光音響法】光音響効果を利用した分析法。物質に光を当てると、光を吸収、発熱して周囲の空気を膨張させる(光音響効果)。その音を高感度マイクロホンで捉え、信号化して物質の属性を解析する。試料の形状を問わず、前処理なしで測定できるなどの利点がある。
【X線光音響法】升島教授が1985年に開発した分析法。当時、光音響法の研究にはレーザーなどを用いるのが一般的だったが、教授は高エネルギー物理学研究所の放射光施設で、X線を用いて分析できることを実証。分析科学の可能性を広げ物理学に貢献する発見として大きな注目を集めた。

 X線光音響法を発明したことも、原点になったのはそういう装置づくりへの興味でした。
 光音響法というのは、簡単に言うと物質が光を吸収したときのわずかな音を拾って、そのスペクトルで物質の成分を分析する方法で(囲み記事)、ぼくは助手の頃から、見よう見真似で、顕微鏡にマイクロホンを仕込んだ検知器(セル)を自分で作って、レーザーで石ころをスキャンしたりしてたんです。
 その後、助教授になってから、つくば市の高エネルギー物理学研究所で進められていたシンクロトロン放射光(電子を光速近くまで加速した時に発する強力な電磁波。赤外線からX線まで幅広い波長の光を含む)のプロジェクトに参加することになったんですが、このとき「レーザーの代わりにX線で光音響効果をやってみよう」と思いついたわけです。
X線光音響効果を発見したときの信号
 X線を通すベリリュウムという金属を使ってセルを改良して、その中に銅箔のサンプルを入れてやってみんだけど、初めはなかなか上手くいかなくてね。もう広島に帰ろうなんて思ったりもしたんですけど、セルの感度を上げたりいろいろ工夫して、すごく強いX線を当ててみたら、何んと、測れたんですよ。なにしろ世界で初めてのことでしたから、信号を確認したときは「やったやった。X線で光音響効果が取れた」ってんで、みんなで大喜びしました。

●心の金字塔

升島教授手作の検知器(セル)

 あのときは「ああ、まじめに苦労してきてよかったなあ」と思って、ほんとに、今思い出しても涙が出ますね。
 結局、マイクロホンのセルを自分の手で作ってたんで、いろいろ改良できるわけです。感度が悪かったらどこを直したらいいとか、だんだん道が開けてきて確信が持ててくる。人間、道に迷っているときがいちばん弱いですからね。サイエンスだってゼロから1にいくときがいちばん難しいので、1が見えたら100までいくのは楽なんです。
細胞内の顆粒がアレルギー反応で弾ける瞬間
 まあ、なんでもそうでしょうけど。ぼくの場合、セルを作るときの苦労に神様が報いてくれたっていうか、「お前がそれだけ苦労したんじゃけん、お前にX線光音響法をやらしちゃろ」って言ってくれたんかなって思うんですよ。このX線光音響法の発明がぼくの心の金字塔で、それがあるから次のチャレンジもできたんだと思っています。

●細胞分析の世界へ

 で、次のチャレンジになったのが細胞分析です。平成元年に上の教授が亡くなられ、医学部総合薬学科の分析化学教室の助教授から教授になったんですけど、そのときぼくは、薬学だから生命現象をやろう、生命の最小単位である細胞を分析してやろうと決心して、それまでの物理的な研究から180度転換することにしました。
 というのも、細胞というのはとてもダイナミックに動いているのに、その様子はちゃんと観察できてなかったんですね。ぼくは当時出始めたばかりのビデオカメラを検知器に使って、一瞬でその絵を取ってやろうと考えて、毎日毎日、一生懸命細胞ばかり見つめていました。アレルギーで顆粒が弾ける瞬間(脱顆粒反応。細胞が抗原に曝されるとヒスタミンなどを含む顆粒を放出しアレルギー反応を起こす)の画像を初めて撮影して注目されたのもこの頃です。
 そうこうしているうちに「細胞が動いている様子がリアルに見えるのはいいけど分子のメカニズムが見えないじゃないか」といった批判が外から聞こえてきて、ぼくも確かにそうだなとは思ってたんですけど、そう言われりゃ悔しいですからね。ようし、それじゃ分子を見てやろう、それも細胞が動いている最中に分子がどう変化するのかをリアルタイムで即座に分析できたら文句なかろう、ということで研究を始めたんです。

●7年掛けて「ビデオ・マス スペクトロスコープ」を完成

 細胞が動く瞬間に分子というミクロの世界で何が起こるのかを知ることは生命科学の夢です。ぼくは自分の研究をビデオ・マス スペクトロスコープと命名して、1999年にオランダで開かれた2千年紀ミレニアムシンポジウムに招かれたときも、これこそ21世紀の勝敗を握る分析法だと宣言したんですが、宣言はしたものの、長いこと満足いく方法が見つからなくて、完成まで7年も掛かってしまいました。
 それが今使っているナノスプレーチップです。外側を金でコーティングした先端が3μぐらいのガラス針ですが、これを使って細胞を吸い上げ電場を掛けると細胞1個の分子成分が見えてきたのです。出来てみれば他愛もないようですが、そこにたどり着くまでは、研究室のスタッフ一同、ミクロの世界に随分てこずりましたね。
ナノスプレーチップ
(上は1本分)
光学顕微鏡下で細胞を刺す 最先端の質量分析装置に
掛ける
現れた分子群のピーク

【ビデオ・マス スペクトロスコープ】
 升島教授が開発した細胞分析手法。1ピコリットル(10のマイナス12乗)にも満たない細胞、その動きをビデオで可視化すると同時に、細胞中に含まれる数千種類もの分子群を網羅的に質量分析(マス スペクトロメトリー※)し、分子の変化と種類を瞬時に特定する。世界で初めて成功したこの手法は、ライフサイエンスや医療の加速に大きく貢献するものと評価され、2008年度の日本分析化学会・学会賞を受賞した。
※質量分析=細胞中の分子の重量の違いで、それぞれのピークを捉え、質量を分析する方法。田中耕一氏がこの研究で2002年にノーベル化学賞を受賞。
 今では世界最先端の質量分析装置も導入し、1細胞の中の顆粒ひとつひとつまで分析できるようになっています。調べてみると、顆粒の種類もヒスタミンとか悪玉アレルゲンばかりでなく、妙なものがぞろぞろいることがわかってきて、何かの目的があってそれだけのものが詰込まれているはずなんだけど未だに正体はよくわかりません。この先はお医者さんと研究すればいいと思っています。


●ものづくりのDNA

今日も、ものづくりは続く

 結局、ぼくの研究は全部ものづくりへの関心が原点なわけです。考えてみれば、小さい時から模型を設計図どおり作って楽しまない子供で、いったん完成すると、すぐに自分なりに作り変えて遊んでましたから、工夫してものを作って見たいというDNAがあるんでしょうね。新しもの好きだった親父の血を継いでいるのかもしれません。
 でも、子供の個性って大切ですよね。今は喧嘩が強いとか親分肌だとか、いろいろな個性の子供がいても、その可能性が全部つぶされていく。絵が上手いだけじゃダメとか、ないものねだりして人間を平準化してしまう。そうじゃなくて、現在ある能力を育てて突き抜けさせることで自信を持たせることが大切なんです。そんな教育のできる学校を作りたいなんて時々考えるんですけど、また突っ走らないように注意しないとね。
 どうもぼくは、思考を抑制する神経細胞が人より未発達なのか、余りに変なことばかり思いつくので、前にいた秘書なんか「先生わかりましたから、ちゃんと仕事してください」って呆れてましたから。
【取材日2012.4.5】

略 歴
ますじま・つとむ

 1949年出雲市生まれ。'72年広島大学理学部卒。'80年広島大学大学院理学研究科博士課程を経て、同年広島大学医学部総合薬学科薬品分析化学教室助手。'84年同教室助教授、 '89年同教授。'86年から2年間米国ユタ大学化学科客員准教授を併任した後、2002年組織変更により現職。公益社団日本薬学会物理系薬学部会長、大学発ベンチャー(株)HUMANIX代表取締役(併任)。