2011年6月 No.77
 

ドクター・北野の特別セミナー
「化審法入門」

化学物質管理の第一人者が語る、化審法との
関わりから法改正のポイントまで

明治大学理工学部教授・工学博士 北野 大 氏

 

● 文学志望から化学の世界へ

 私が化学を選んだ理由は実に消極的なものでしてね。もともとは文学志望だったんです。英語が好きだったので英語の先生になろうと思って、ある大学の文学部も受かったんですけど、うちの母親が「何が何でも腕に職をつけること。工学部以外は認めない」というわけです。ちなみに我が家は長男も弟のたけしも工学部機械工学科出身です。それで私も無理やりに工学部ってことになりまして、ただ製図が苦手なので機械だけはカンベンしてということで化学にいったわけです。好きで選んだわけじゃなく、情けない話です。
 分析化学を選んだのも、病気で療養されていた分析の先生が1年ぶりに復帰するのに行く人がいないと聞いてね。分析って地味な研究分野でしょ。まして先生が1年間入院していたなんていうと誰も行かないんです。私もほんとは当時花形だった高分子化学をやろう思っていたんですけど、それじゃ先生が気の毒だ、ということでつい変な男気を出して4、5人の仲間を連れて一緒に分析化学の研究室に進んだわけです。
 大学を出てからは、製薬メーカーで2年間殺虫剤の分析の仕事をした後、都立大の大学院でドクターを取って、(財)化学品検査協会(現化学物質評価研究機構)で21年間実務をやりました。

● 化審法との長い付き合い

 化審法との付き合いが始まったのも化学品検査協会に入るときからです。1973年に化審法ができたとき、分析の能力を持った試験研究部門が必要だというので化学品検査協会がドクターやオーバードクターを集めたんですね。私はたまたま大学院でクロマトグラフィー(物質を成分ごとに分離する技法)を研究していたこともあって、協会で化学物質の安全性試験に携わるようになったんです。
 ですから、化審法とは出来たとき以来の長い付き合いです。協会にいたときはデータを出す側として、大学に移ってからは審査する立場で。その間、OECD(経済協力開発機構)の委員をやったり、この3月までは経産省の化学物質審議会の審査部会長を務めたりして、ずっと化審法と関わり続けてきました。化学物質審議会にはまだ委員として残っていますし、現在はPOPs条約(残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約)の専門委員も務めています。そういうことで、母親の命令で化学と出合って、結局は環境化学がライフワークになったわけで、今ではほんとに母親には感謝しています。

★化審法とは

 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律。PCBによる環境汚染問題を契機に、PCBと同様、難分解で高蓄積性、長期毒性を有する化学物質(特定化学物質)による環境汚染防止を目的に1973年に制定された。
 当初は、@新たに製造・輸入される化学物質について、事前に人への有害性などを審査する、A環境を経由して人の健康を損なう恐れがある化学物質の製造、輸入、使用を規制する、などが主な内容となっていたが、これまでに3度の改正が行われ、現在では、人だけでなく動植物への悪影響の防止、リスク評価手法の導入、国際的動向を踏まえた規制措置等を講じて、包括的な化学物質管理が行われている。2000年には、従来の厚生労働省、経済産業省に環境省を加え3省共管となった。


● 化審法制定の背景

 化審法ができた最大の背景は、70年代の初め頃から明らかになってきたPCB(ポリ塩化ビフェニル)による環境汚染でした。当時の公害対策はエンド・オブ・パイプ(工場や事業所で発生した有害物質を最終的に外部に排出しない方法)が基本で、工場の煙突とか排水口とかを規制すれば何とかなったんです。大気汚染防止法も水質汚濁防止法も、みんなそうですね。ところが、PCBというのは急性毒性がないので毒劇物取締法では規制できないわけです。発がん性があれば労働安全衛生法で対応できたんですけど、当時はPCBの発がん性はわからなかった。それがノンカーボン紙とかコンデンサーとかに使われて、廃棄の段階で環境中に出て魚介類に高度に濃縮したわけですね。
 それと、1968年に起こったカネミ油症事故(食用油にPCBが混入し健康被害が発生した事故)の影響も大きいですね。一方、海外でもアメリカが有害物質規制法(TSCA)の制定に動いていたし、そんなこともあって日本も化審法のような、化学物質の事前審査の法律を作らなくてはとなったわけです。
 当時の通産省のお役人さんが偉かったと思うのは、産業振興至上の時代に化学物質の性能の中に安全という考えを持ち込んだことですね。化学物質の性能は効果と価格のふたつであって、安全はあまり頭になかったんです。ところが、PCBによる環境汚染と油症事故による被害者の大量発生という中で、通産省は化学物質の安全性も性能のひとつとして評価しないと健全な化学産業はあり得ないと考えて、PCBのように「分解しにくい」「高度に濃縮する」「継続的な摂取で毒性を持つ」ものを禁止することにしたわけです。TSCAの施行が1977年だから、化審法のほうが4年も早いんです。

● 3度の法改正。ハザード管理からリスク管理への転換も

第3次化審法改正の概要(資料:経済産業省)
<拡大図>

 化審法はこれまでに3度大きな改正が行われています。最初は1986年。これはPCBのような生物濃縮性はなくても、継続的摂取で人の健康に有害な影響を与える物質も規制の対象としたものです。
 次が2003年。この改正は極めて重要な改正で、従来は人の健康影響だけを見ていたのを、OECDの勧告を受けて、環境中の生き物にも着目するようにした。つまり、化学物質から守られるべきものは「man and his environment」(人とその環境)って考え方なんですね。
 私も当時OECDの委員を務めていた関係で意見を述べる機会があって、日本の法律は人の健康しか見てないと、別に悪口言ったわけじゃないけど、はっきりそう言いました。環境影響も見るべきだってことはずっと私の持論でしたからね。そしたら最終的にOECD勧告ということになって、化審法の目的が「人の健康および環境生物」に変更された。化学物質審査規制法の成立からこの改正に30年かかったことになります。
 その後が今回の2010年の改正ですね。これは、「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)の勧告を受けて、2020年までに「国内で化学工業品として製造、輸入または使用されている化学物質のリスクを評価し、リスクの程度に応じた管理を実現する体系を構築」するために法律を見直したもので、最大のポイントは、従来ハザード(有害性)評価だけで化学物質を規制してきたのを、リスク(危険性=ハザード×曝露量)評価で規制するようにしたこと。つまりハザード管理からリスク管理へ規制手法を転換したわけで、それ以外もいろいろありますが、いちばん大きいのはこの点です。
 日本は魚介類を主要な動物蛋白源としてきたので、生物濃縮に対しては非常にナーバスだったんですね。濃縮性のある物質を第一種特定化学物質(難分解性、高濃縮性及び長期毒性または高次補食動物への慢性毒性を有するもの。PCBなど16物質)にして完全に禁止したわけです。もちろん今回の改正でも第一種特化物は非常に厳しい規制ですけど、リスク評価を基本にしたという点ではEUの化学品規制(REACH規制)やアメリカのTSCAと足並みを揃えたってことですね。

● 既存化学物質対策と国際的整合性の確保

 具体的な改正内容の第1は、既存化学物質対策です。従来の化審法、あるいは他の国の法律でも同じですけど、法制定前に世の中に出ていた化学物質は既得権として認めてきたわけです。新しく製造、輸入されるものを審査していこうというのが化審法で、既存物質についてはまだまだ十分な国の安全性評価が行われていないんです。これを既存物質も含めてすべての化学物質をリスク評価していこうというわけで、考えてみれば当然のことです。既存物質のほうが遥かに使用量が多いんですから。
 2つ目は国際的整合性の確保です。POPs条約で世界的に禁止しているものと日本の化審法で禁止しているものの禁止内容の整合性を持たせたということです。例えば、日本では化審法で第1種特定化学物質に指定されたら事実上完全に使用禁止なんですが、ストックホルム条約では「必須用途は認める」という例外規定があるんで、そういった点に合わせて法律を変えています。
 改正法の施行スケジュールは2010年4月と2011年4月の2回にわかれていて、第2期ではリスク評価に関する部分が施行され、これからいよいよ企業の届出に基づいて三省合同の審議会でリスク評価が始まります。どうやってリスク評価するかは大気や水への排出量と毒性のマトリックスを使って、その評価結果でこれは優先評価物質(届出物質からリスク評価を優先的に実施する化学物質。新設)にするとか、その後に第2種特化物にするとかを決めていくことになるわけです。

● POPs条約は化審法そのもの

 私が化審法を評価したいのは、POPs条約はまさに化審法そのものだってことですね。難分解で生物濃縮して長距離移動して毒性があるものを規制するというのがPOPs条約です。化審法は国内法なので長距離移動は関係ないけど、化審法に長距離移動を入れればPOPs条約そのものですよ。そういう意味じゃ、今回評価の仕方は変わったけど、30年以上も前にこういう法律を作ったってことは、当時のお役人さんはやはりすごいと思いますね。
【取材日/2011年4月18日】

略 歴
きたの まさる

 1942年東京生まれ。明治大学理工学部応用化学科ならびに明治大学大学院理工学研究科・新領域創造専攻 環境安全学研究室教授。専門は環境化学。日本分析化学会会員。江戸川総合人生大学学長。
 1965年、明治大学工学部卒業。1972年東京都立大学大学院工学研究科工業化学専攻博士課程修了。分析化学(学位論文「光分解−ガスクロマトグラフィの研究」)で博士号を取得。(財)化学品検査協会(現化学物質評価研究機構)から淑徳大学教授を経て、2008年より現職。安全学という新領域の分野で「化学物質の安全」をテーマに後進の指導を行っている。
 経済産業省・化学物質審議会委員、環境省・中央環境審議会委員、残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約専門委員などのほか、テレビのコメンテーターなどでも活躍。2004年日本分析化学会・技術功績賞、2006年環境科学会・学会賞受賞。
 主な著書に『循環型社会への提言−緑豊かなゆとりある生活環境を目指して』〈共著、研成社〉、『ドクター北野の地球なんでも好奇心』〈NHK出版〉、「北野家の訓え」〈PHP研究所〉、など。4月に刊行された初の兄弟対談『北野大vsビートたけしの新環境文化論 もったいないね このバチ当たりめ!』〈あ・うん〉が話題に。