双方向の科学コミュニケーションをめざして
一方通行でない、市民と科学者の対話の中で
真の科学的思考は発達する
公立はこだて未来大学 システム情報科学部教授 美馬 のゆり 氏
●なぜ科学コミュニケーションが求められるのか
20世紀以降、私たちの生活の質は科学技術の発展によって飛躍的に向上しましたが、その一方で、環境問題や遺伝子組み換え食品、遺伝子診断の問題などが示すように、科学技術をめぐる様々な課題も浮かび上がってきました。また、一見科学らしさを装ったニセ科学が新聞やテレビでセンセーショナルに報道されたり、その情報に人々が惑わされたりといった問題も頻発しています。
こうした問題を解決するには、科学者や行政官、政治家など一部の専門家の議論だけに任せておくことは、もうできません。一般市民自らが、自分たちの、あるいは子孫のための問題として関心を持ち、問題を理解し、議論の場に積極的に参加することが不可欠なのです。
例えば、経済産業省が力を入れている介護ロボットの問題については、マスコミはあまり取り上げませんが、考えなければならないことがたくさんあります。日本のロボット技術はほんとうに優れたものですし、子どもたちの理科離れもロボットへの関心をきっかけに食い止められることもあるでしょう。でもだからといって介護や福祉の現場がほんとうにその方向で進んでいいのかという疑問は拭いきれません。シリコンで作られた人間そっくりのリアルなロボットが、滑らかな動きでおふとんを替えてくれたりモノを運んでくれたり、それはそれで技術の可能性への挑戦として気持ちはわからないではないですが、自分が介護される立場に立ったら、ほんとうにみんな受け入れられるでしょうか。
今国会で審議されている脳死の話にしても、こんな大事な問題を政治家だけの短い議論で決めてしまっていいはずがありません。世界の中で日本は臓器移植の後進国だといいますが、そこには文化的、精神的な違いもあります。それをどうやって折り合いをつけていくのか、もっといろいろな場で話し合われてよいはずです。
こういったことを私たち市民が自分の問題として考え、発言していかないと、一部の専門家に任せておいたら、科学技術は私たちの気持ちとかけ離れた方向に進んでしまう可能性があります。だからこそ今、科学コミュニケーションが求められているのです。科学コミュニケーションは、一般市民と科学技術政策に関わる人たちとの架け橋の活動です。科学者は科学について説明し、市民は積極的に科学を知る。市民が科学者から学ぶのと同時に、科学者も市民から学ばなければなりません。それによって、ニセ科学にも引っ掛からず、報道の正否もちゃんと見分けられるような科学リテラシーが育まれていくのです。
●人はどうやって「学ぶ」のか
―認知科学の視点から
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最近ではいろいろな場所でいろいろな人たちが、それぞれの基盤に立って科学コミュニケーションに取り組んでいます。その中には、家庭生活を科学する科学総合研究所というウェブ上の研究所を主宰して主婦層にアプローチしている内田麻理香さんのようなユニークな活動も見られます。
私も、これは絶対私にしかできない、他の人にはない科学コミュニケーションの基盤をはっきりと持っています。それは、私の本来の研究テーマである認知科学に基づく科学コミュニケーションという視点です。
認知科学とは、簡単に言えば人はどうやって物事を認識し、理解し、学ぶのか、そのメカニズムやプロセスを研究する学問です。人は生涯学び続けます。しかし、それは自分一人の中だけで完結しているわけではありません。知識は「外化(がいか)」、つまり自分の頭の中のもやもやしたものを一旦頭の外に出すことで整理され、さらに深まっていくものです。外化には、文字にすることもひとつの手ですが、いちばん有効なのは、他の人に説明すること、複数の人と話すことです。他者との対話により思考を外化するという社会的な行為によって知識は形づくられ洗練されていきます。学びはコミュニケーションから生じるものなのです。
この認知科学の考え方は、「はこだて未来大学」でも学校全体の制度、空間の中に応用されています。オープンスペースを多用した校舎、ガラス張りの教室や教員研究室といった学習環境は、学年、グループの別なくコミュニケーションが促進され、情報の流通が起こるよう設計されたものです。また、教育の核として新しく開発した学習方法「プロジェクト学習」も、学習を個人の知識獲得にとどめず、学生や教員、地域の人々が様々な対話を交わしながらひとつのテーマを研究することで、社会的な共同体の一員となっていく過程を重視しています。この学習方法を通じて、中には思いがけない飛躍を遂げる学生もありますし、教員も自分の授業を洗練させ、研究も発展する可能性があります。ここは教員も学ぶ場、成長する場になっているのです(下の囲み記事参照)。
私は科学コミュニケーションについても、このような「学び」の視点から切り込んでいきたい、いや、切り込んでいけるんじゃないかと思っています。市販されている科学コミュニケーションのテキストなどを見ると、ハウツウ本というか、こうすべきだといった内容のものが多く、人間の知識とはどうやって作られ理解されるのかという視点は希薄です。ただ単にコミュニケーションすればいい、専門家と話せばいい、といったものではなく、お互いの対話によって論理的、科学的な物の見方、考え方を学び発達させていく、そんな科学コミュニケーションこそ私の狙いです。そして、その取り組みの成果を、地域のまちづくり、人づくりにまで広げていきたいと考えています。
●サイエンスアゴラの立ち上げ、そして地域へのアプローチ
私が科学コミュニケーションの必要を痛感するようになったのは、日本科学未来館の副館長として活動した3年間の体験が大きな契機になっています。日本の代表として国際会議に出席したり海外の人とやり取りしたりする中で、世界の潮流は科学コミュニケーションにあることがわかってきたのです。日本にはそういう視点が欠けていたことを強く感じましたし、これは日本でも絶対にやる必要があると思いました。それには、まず科学のほうから外に出ていかなければなりません。
2006年にスタートしたサイエンスアゴラ(※アゴラ=広場を意味する古代ギリシャ語)は、そうした日本における科学コミュニケーションの総合的な実践の場として立ち上げたものです。私の副館長としての任期はその年の9月末まででした。アゴラの企画は任期の切れる1年前くらいから暖めてきて、企画書を書き、予算も取り、11月にやっと開催にこぎ着けました。なにしろ「1回でいいからやらせてほしい」と頼み込んで無理やり実現したくらいですから、2回目があるとは確信はありませんでした。幸い「科学技術の専門家も市民も、あらゆる立場の人が参加して科学技術について語り合う広場」という試みは大きな反響を呼んで、その後毎年開催されるようになっています(※サイエンスアゴラ2009の開催日程は次頁)。そういうことをやりたいと考えてバラバラに苦労していた人たちが皆で力を合わせることで、大きなうねりを起こした結果だと思います。
サイエンスアゴラは全国版の取り組みですが、ローカルで見ても同じことが言えます。この函館にも、科学コミュニケーションの必要を痛感している人がたくさんいます。そこで函館市では、大学や高専・高校の教員、学生、NPOメンバーらの有志が集まって、昨年(2008年)の7月に「サイエンス・サポート函館」という組織を結成し、この8月に市が開催する「はこだて国際科学祭」という初の科学コミュニケーション・イベントへ向けて現在準備作業を進めています。これにはプロジェクト学習の一環として「はこだて未来大学」の学生も参加しています。
こういう取り組みは、科学館のような施設もない地域で、科学と縁の遠い生活をしている人たちにこそ必要なのだと考えます。そういう人たちにもっとアプローチして、その土地に合った形で科学を考える機会を提供していきたいと思います。「科学祭」は来年以降も毎年続けていく計画です(次頁「有識者に聞く特別版」の記事参照)。
子どものころから数学好きで、高校生のときに六本木のIBM本社を見学したことが、その後の私の人生を決定しました。任意の年号と月を入れると、瞬時にその月のカレンダーを作成するコンピュータのすごさ。試しに9999年の12月と入れたら、やっぱりちゃんと出たのを見て、コンピュータは世の中を変えるに違いないと思いました。そのときの驚きと感動は今もはっきりと覚えています。科学は素晴らしいものです。でも、いま大切なのは科学の素晴らしさや面白さだけでなく、科学技術をめぐる課題やリスクも含めて、多くの人々が情報を共有し、共に考え、意識を高めていくことです。科学リテラシーとは、科学者だけによって作り上げられるものではなく、市民との対話によって社会的に作り上げられていくべきものだと思います。
■「学びとコミュニケーション」の実験場、公立はこだて未来大学の新しさ
函館圏公立大学広域連合により2004年4月に開学された情報系の単科大学。「計算機中心」「機械中心」の情報科学・情報技術とは一線を画した「人間・社会・環境」中心の情報科創成をめざす。美馬教授は、その理念の策定、カリキュラム作りから校舎のデザイン、備品の選択にまで携わり、中心的な役割を果たした。
「学び」は、教室での講義だけでなく、人との協同作業や、教師や仲間といったコミュニティの中での共有体験を通して体得されていくという考え方のもと、「オープンスペース、オープンマインド」を目標に、ハードとソフトを融合させた実験的な環境づくりが実践されている。
校舎は約100×120mの平面のボックス型5階建で、内部は天井高20mの大空間を中心に、できるだけ壁を取り払い透明なガラスの間仕切りを多用した設計となっている(2002年日本建築学会賞作品賞受賞)。講義室や教員の研究室の壁も透明で、学生と教員の開放的なコミュニケーションが常に行われる。企業の人間も原則出入自由。新入生は一定の仕様を満たしたノートPC購入が必須になっており、学内のどこででもネットに接続して友人と情報を共有できる。
カリキュラムの面では3年生から必須となるプロジェクト学習に独自性が見られる。10〜15名の学生が担当教員と共に学習テーマを見つけ出し、他大学、企業、地域社会と連携して、1年間かけて情報と意見の交換を行いながらテーマの解決に取り組む。学習テーマは、大学の講義内容だけでなく実社会の問題からも選ばれ、その成果は学内外に公表され、連携企業や地域社会にフィードバックされる。これまでに、インターネットの安全性の検証、医療現揚における患者を中心とした情報環境の構築など多様なプロジェクトが進められ実績を重ねている。 |
略 歴 |
みま・のゆり
1960年東京生まれ。電気通信大学電気通信学部卒。専門分野は認知科学、教育工学。電気通信大学在学中に米マサチューセッツ工科大学(MIT)で開発された教育用言語LOGOを日本の8ビットマシンに移植する作業に従事。外資系コンピュータメーカー勤務を経て、ハーバード大学大学院教育学研究科インタラクティブ・テクノロジー専攻修士号取得。帰国後、東京大学大学院教育学研究科入学、博士課程単位取得。
1997年、公立はこだて未来大学の開学計画策定委員として準備作業に携わり、2000年同大システム情報科学部情報アーキテクチャ学科教授に就任。また東京お台場の日本科学未来館の設立(2001年)に際しても、基本方針と全体計画を策定する総合監修委員会に参加。2003年10月から3年間、副館長を務めた。現在「サイエンス・サポート函館」代表。著書に『不思議缶ネットワークの子どもたち―コンピュータの向こうから科学者が教室にやってきた!』(ジャストシステム)、『変わるメディアと教育のありかた』(共著、ミネルヴァ書房)、『「未来の学び」をデザインする』(共著、東京大学出版会)などがある。 |
「有識者に聞く」特別版 ★ 科学祭の開催情報
広がる科学コミュニケーション・イベント。
「地域発」の試みも
美馬教授のお話にもあったとおり、科学コミュニケーション関連のイベントが各地で盛んになってきています。「サイエンスアゴラ2009」のような全国レベルの取り組みはもちろん、地域レベルでも「はこだて国際科学祭」(函館市、8月)、「第1回東京国際科学フェスティバル」(東京三鷹市ほか、9月)などが企画されており、地域発の科学コミュニケーションの試みとして注目されます。
はこだて国際科学祭2009
函館開港150周年記念イベントとして、函館市が独立行政法人科学技術振興機構(JST)の補助金により実施したのが「はこだて国際科学祭」(8月22日〜30日)。
「科学を文化に!」を合言葉に、「地域のネットワーク・資源を活かして、科学する文化を創造すること」をめざしたもので、企画には美馬教授が代表を務めるサイエンス・サポート函館が全面協力。市内3カ所のエリアを会場に、展覧会や科学夜語、科学屋台、サイエンスショー、実験教室など多彩な科学イベントが繰り広げられ、子どもから大人まで、素人も專門家もみんな一緒に参加できる函館初の科学まつりとして、市民の話題を集めました。
第1回東京国際科学フェスティバル(TISF)
「はこだて国際科学祭」と並ぶ地域発の科学コミュニケーション・イベントとして注目されるのが「第1回東京国際科学フェスティバル」(主催=東京国際科学フェスティバル実行委員会、開催期間2009年9月12日〜27日)。
科学を楽しむ文化を地域に広げ、「科学好き市民」のコミュニティを形成することなどを目的に企画されたもので、今回は「宇宙・生命・地球 そして私たち」(世界天文年2009記念)をテーマに、シンポジウムなどのトークイベントや工作・実験教室、ワークショップ、サイエンスカフェなど様々な企画が実施される予定です(会場は三鷹市を中心に、調布市、府中市、武蔵野市など)。
サイエンスアゴラ2009
「サイエンスアゴラ」は、国際研究交流大学村(東京国際交流会館、日本科学未来館、産業技術総合研究所臨海副都心センター)で毎年11月に開催されるサイエンスコミュニケーションの一大イベント(主催=科学技術振興機構/共催=日本学術会議、国際研究交流大学村)。
科学技術の専門家はもちろん、あらゆる立場の人が参加して科学技術について語り合うための広場(アゴラ)として、2006年に第1回が実施されてから今年で第4回目。今回は期間も従来の3日間から4日間に拡大(10月31日〜11月3日)され、「地球の未来 日本からの提案II」をテーマに、講演会・討論会、工作教室やサイエンスカフェ、実験ショーや演劇、ポスター展など盛りだくさんの内容となっています。 |