2008年3月 No.64
 

高まる科学コミュニケーションの必要性

役目は科学と一般市民の橋渡し。
科学コミュニケーターの育成も進む

日本科学未来館 科学コミュニケーション推進室
S.C.推進調整・連携統括グループリーダー/工学博士 山科 直子 氏


●科学コミュニケーションとは何か

日本科学未来館
 「先端科学技術の体験」をコンセプトに、独立行政法人科学技術振興機構(JST)が東京都江東区青海の「国際研究交流大学村」内に設立したサイエンスミュージアム。2001年7月開館。宇宙飛行士の毛利衛氏が館長を務める。先端科学技術と人をつなぐ拠点として、主に以下の3つの活動を行っている。
@科学を伝える−先端科学技術の情報発信と伝達方法の開発
  常設展示や企画展、トークセッション、実験教室、さらにはウェブ(http://www.miraikan.jst.go.jp)や出版物など多彩な方法で先端科学技術を伝える。同時に表現やコミュニケーションの手法開発を行う。
A人材を育てる−科学コミュニケーターの育成
  科学者・技術者と一般市民の橋渡しをする「科学コミュニケーター」の育成を行う。大学などの外部機関との連携も踏まえた独自の人材育成システムを館内外に提供し、人材の輩出を図る。
Bつながりをつくる−8つのネットワークの形成
  研究者・技術者/メディア/ボランティア/友の会・入館者/政府/学校/内外の科学館/産業界の8つを、未来館と社会をつなぐインターフェイスと捉え、ネットワーク作りに努める。

 科学コミュニケーションというのは、学問としてはまだ新しい領域で、体系的な理論が確立しているわけではありません。ですから、科学コミュニケーションとは何かとなると、人によって考え方が分かれるところで、物理のように、この教科書を読めば分かると言えるほど成熟した学問にはなっていない。ただ、日本科学未来館(以下、未来館)がめざす科学コミュニケーションははっきりしています。それは、科学技術あるいは科学のコミュニティと一般市民との間の橋渡しをすることです。
  つまり、科学知識をきちんと分かりやすく一般の人に伝えるだけでなく、同時に、一般の人が科学について何を考えているのかを科学者に伝えること。この双方向性が私たちの考える科学コミュニケーションです。科学って楽しいものだとか、これが正しい科学だといったこれまでの一方的な情報の伝え方ではなく、お互いに何を考えているのか情報を共有して接点を見つけていく。あるいは、科学だけでなく、そこから派生してくる倫理的な問題や政治的な問題も含めて冷静に伝えて、何が正しくて何が正しくないのかを自分で考え判断してもらう。そのための情報や場の提供を行うのが未来館の役割だと考えています。最近は、その一環として展示の見学者や来館者に質問や意見を書いてもらって、その声を研究者にフィードバックするという試みもやっています。

●科学コミュニケーターに求められる3つのスキル

科学コミュニケーターに求められる
3つのスキル

 未来館が科学コミュニケーションということをはっきり意識し出したのは、実はここ数年のことで、私が着任した2005年のちょっと前に、当時の副館長だった美馬のゆりさん(現・はこだて未来大学教授)が提唱してから本格的な検討が始まりました。未来館は、一般の博物館のような研究部門や標本・資料のコレクション機能といったものを持たない、展示に特化した施設です。それだけに、科学コミュニケーションの分野では高度な専門性を備えたかったし、一方では科学コミュニケーターを育てる育成機関としての役割を果たしたいという狙いが、美馬さんにはあったのだと思います。
  私はそういう検討作業のちょうど取っ掛かりのときにここに来たので、自然にその作業に加わることになったわけですが、科学コミュニケーターを育てるといっても、もともとそんな職業があったわけではなく、どんな訓練をして何を教えたらいいのか当時は全く見当のつかない状態でした。そこで、未来館でトレーニングされた科学コミュニケーターを受け入れるとしたらどんな人材が欲しいのか、いろいろな研究機関を回って尋ね歩いてみた結果、科学コミュニケーターに求められる能力として大きく3つのスキルがあることが分かりました。
  1つ目は科学の専門知識をきちっと持っていて情報を客観的に分析できること。2つ目がいろいろな情報を集めてコミュニケーションできる能力があること。3つ目がイベントを企画したり外部の人々とのつながりを組織化するマネージメント能力を備えていることです。この3つのスキルは、今では科学コミュニケーターの必須要件として一般的な考え方になっていて、やはり私たちの方向は間違っていなかったのだと思っています。
  現在、未来館のスタッフは、先端科学技術の動向調査や展示の企画開発、展示フロアでのインタープリター(展示解説員)などの日常業務を通じた能力開発と、外部の有識者を招いた「スキルアップ講座」などの組み合わせで、3つのスキルが身に付くように育成が行われています。育てて送り出すというのが育成機関としての機能なので、最長5年を限度に一定期間トレーニングを受けたスタッフは基本的に外に出て活躍してもらい、欠員が出た時点で新たなスタッフを募集するシステムです。

●外部向け「研修プログラム」の提供

 一方、未来館では館内のスタッフとは別に、外部の人に向けた「科学コミュニケーター研修プログラム」の提供も行っています。この研修は、さまざまな立場で科学技術に携わる大学院生以上の人々を対象に、科学コミュニケーション能力の向上を支援する目的で開発したもので、5日間の短期コースと1年間の長期コースの2種類があります。
 このうち、5日間コースは一昨年から試行的にスタートして昨年から正式に取り組み始めたもので、前述した3つのスキルのうち、調査やプレゼンテーション能力を重視した形のプログラムを組んでいます。5名から15名ぐらいのグループで、科学コミュニケーションの成り立ちや、ほんとうに伝えたいことを効果的に伝えるにはどうしたらいいかということを、ディスカッションや来場者への説明体験、展示企画の模擬プレゼンテーションなどにより考えてもらう内容で、5日間だけなのでほんとうの触りなんですけど、その中でひとつでもふたつでも役に立つことを見つけてもらえればいいなと思っています。
 研修生の中には大学院生や研究者、小中高の先生、他の科学館職員もいれば、医師や薬剤師もいます。企業の研究者や広報担当者も参加していますが、企業の場合、中立的な立場で科学を正確に伝えるという我々の立ち位置とはちょっと違っていて、広報宣伝は別として、科学コミュニケーションの手法を積極的に学ぼうという機運はまだそれほど高いとは言えないようです。私としては企業の方にもぜひ未来館を活用してもらい、お互いの協力関係を深めていきたいと考えています。
 1年コースのほうは、自治体の教育委員会から長期研修の枠で派遣された理科の先生を中心に、3年前から年に3〜4人程度受け入れています。この場合は、1年間ほとんど学校には行かずに、フルタイムで教材開発をしたり、未来館のスタッフと一緒になって出前授業みたいなことをやってみたりと、教育系に近い活動をしてもらいます。つまり、自分でテーマを立てて、自分でオーガナイズして、必要なものを調達するということを、未来館の活動としてやるということです。
 科学館というフィールドを使ってこうした取り組みを行っているのは、今のところ未来館しかないだろうと思います。国立科学博物館でも科学コミュニケーターの養成講座は提供していますが、こちらは理系の大学院生を対象に夏休みや冬休みを利用して集中的にやる形を取っています。

●活躍の場をどう広げていくか

 科学コミュニケーションに対する社会的な認知を高める上で一つの契機となったのは、政府が第3期科学技術基本計画(18年度からの5ヵ年計画)の中でその重要性を指摘したことです。そもそもは学生の理科離れの問題が背景にあり、理系を志す人を増やし、科学に対する社会全体のリテラシーを上げて科学創造立国をめざしていくには、科学コミュニケーションが必要だと国が真剣に考えるようになってきた結果といえます。第3期計画の中では、研究者が説明責任を果たすこと、そして科学コミュニケーションの人材を育成することの2つが明確に指摘されており、人材育成のプロジェクトには国の研究予算もつくようになりました。
  これを受けて北海道大学、早稲田大学、東京大学の3校で人材育成の5年間プロジェクトがスタートしたほか、それとは別に、御茶ノ水女子大や総合研究大学院大学、筑波大学、大阪大学、和歌山大学、など独自の人材育成に取り組む大学も出てきています。
 今後、これらの大学や未来館で科学コミュニケーションを学んだ人たちが次々と世の中に出てくる時期を迎えます。問題はそういう人たちが活躍できる場をどうやって広げていくか。現在のところ、科学コミュニケーターという職業は正式な資格にはなっていませんが、科学館のような施設や研究機関、企業の広報関係、ジャーナリズムなどを含めて、科学コミュニケーターとして自活できるキャリアパスを作っていくことが大きな課題です。同時に、研究者が科学コミュニケーションを仕事のひとつとして取り組んでいけるよう研究者自身の理解を深めていくことも、私たちの役目だと考えています。

●「科学が文化になる」ために

  研究者の場合、若い人たちの中には、自分の成果を一般の目に触れるところに出してコミュニケーションしていきたいという人も増えてきていますが、現実にはいろいろなせめぎあいもあって、若い研究者がそういうことをやろうとすると、そんな暇があったら実験しろとか、どっちを取るか決めろとか学校から迫られたりするケースも少なくないようです。
 これは研究者の評価にもつながることで、科学コミュニケーションが進んでいるイギリスでは、クリスマスレクチャーといって、毎年その時期に著名な科学者が子ども向けに科学をレクチャーする伝統があり、それがひとつの名誉と考えられています。最近は、例えば1年間大学で授業をしなくていい代わりにコミュニケーション活動をしっかりやるようにということで、テレビやラジオの番組に出るためだけの予算がついたりもします。これに対して、日本では学会で発表る以外業績になりにくいのでなかなか研究者のモチベーションが上がらない。ですから、科学コミュニケーションがちゃんと研究者の業績として評価されるようになることが不可欠だと私たちは訴えています。
  館長の毛利はよく「科学を文化に」という言い方をします。では、科学と芸術は何が違うのかといえば、芸術やスポーツだったら自分でデータを集めてきて、この音楽を聞こうとかこのチームを応援しようと判断するのに、科学にはそれがない。科学についても、自分でデータを調べてその良し悪しを自分で判断できるようにならなければならない。それが「科学が文化になることだ」と毛利は説明しています。そのためには、科学コミュニケーションの役割は今後ますます重要になってくると思いますし、科学コミュニケーション活動をやったことによってどの程度の情報が伝わり、どれだけ科学に対する社会の考え方が変わったのかといったことをキチンと検証できるような評価方法も開発していきたいと考えています。子どもたちが楽しそうな顔をしていた、みたいなことだけで科学コミュニケーションの効果を評価することはできません。

略 歴
やましな・なおこ
 北海道大学工学研究科応用化学(有機合成化学)専攻修土課程修了後、昭和電工に入社。機能性有機色素(メガネレンズの染料)の開発を担当した後、合成樹脂材料のライフサイクルアセスメントおよび各種素材に関する環境問題の調査研究・広報活動に携わる。この間、1993年に英国ウェールズ大学で修土号(環境アセスメント)を取得。その後、4年間英国リバプール大学に私費留学し、2000年には同大学の博士号(都市環境工学:廃棄物処理・リサイクル)を取得。2002年から(財)化学技術戦略推進機構(JCII)において、経済産業省所管の産学官連携研究プロジェクトのマネジメントと成果普及、および精密高分子材料分野(ナノテクノロジー)の研究開発動向調査活動などに携わった後、2005年日本科学未来館に移り、科学コミュニケーターの育成とネットワーク構築に 取り組む。