2006年9月 No.58
 
街に息づく「塩ビバルーン」のあれこれ

アドバルーンからラジコン飛行船まで、塩ビの加工性が生み出す多彩な製品群

 

 大空に翻る紅白縦じまのアドバルーン。実はあれも塩ビ製品のひとつ。最近余り見かけなくなったと思ったら、なかなかさにあらず、塩ビならではの利点に支えられ、その技術は更なる発展を遂げていました。

●塩ビの程よい伸縮性が不可欠

 
 意外に知られていませんが、アドバルーンは日本生まれの広告メディアです。開発したのは現在も東京で営業を続ける銀星アド社。大正5年のことで、そのネーミングも広告=ad と、気球=balloon を組み合わせた和製英語でした。大正末ごろには屋外広告媒体として全国に普及し、かの二・二六事件(昭和11年)では、アドバルーンを利用して反乱軍の青年将校たちに原隊復帰を促すメッセージが届けられたという逸話も残っています。
 当初素材には綿布や帆布などが用いられていましたが、第二次大戦後になって軽くて丈夫な塩ビ製のアドバルーンが登場。昭和30〜40年代にかけて全盛期を迎えますが、やがて高層ビルの建設ラッシュや広告媒体の多様化などで衰退へ向かいはじめます。
 三重県伊賀市にある中部アド(株)(田中博社長)は、銀星アド社に勤めていた田中社長が故郷の伊賀上野に帰って昭和39年に設立したアドバルーンメーカー。ご子息で営業・製作を担当する田中穣さんが現状を説明します。
 「確かに昔のようなアドバルーンは最盛期の10分の1以下に激減してしまったが、現在ではこれに代わって、室内装飾バルーンやエアーアーチ、オリジナルのキャラクターバルーンなどが開発され、郊外の店舗やイベント・展示会場、大型ショッピングセンターなどで盛んに活躍している」      
 また、アニメキャラクターや企業の商品・ロゴをかたどった変形バルーンも人気で、趣向に富みデザインも多彩な同社の製品は、自動車、製薬、飲料などのトップメーカーの商品PRに一役買っています。このほか、屋内外用のラジコン飛行船といった応用商品も登場していますが、そのいずれも土台となっているのは昔ながらのアドバルーン製作技術。そして、素材の主流は、やっぱり塩ビなのでした。
 「アドバルーンの製作はすごく手間のかかる職人仕事。粘土の型から型紙を起こし、これに合わせてビニールシートを裁断して貼り合わせていく。すべてが手作りで、気球ひとつ作るにも何枚ものシートを貼り合わせて形を整えていかなければならない。そのためには、程よい伸縮性があって加工しやすい塩ビは不可欠な素材で、ウレタンフィルムなど他の樹脂で試してみたこともあるがどうしても塩ビのようには上手くいかない。色揃えが豊富で価格が安いことも塩ビの大きな魅力だ」。
 姿形を変えながら、今でも街の中の様々な場面に息づく塩ビバルーン。中部アド社のような熟練の職人技に支えられて、その技術はこれからも脈々と生き続いていくに違いありません。