2006年9月 No.58
 
対立を超えて、持続可能な社会へ

  科学をベースに、環境保護と経済的発展
        が両立する社会の実現をめざす



 国際NGO ナチュラル・ステップ ジャパン代表  高見 幸子

●批判と対立の混乱の中から

 
  ナチュラル・ステップは、スウェーデンの小児がん研究者カール・ヘリンク・ロベール博士の提唱で1989年に設立された環境教育団体です。当時、スウェーデンでは、酸性雨とかオゾン層の破壊、温暖化といった問題が人々の大きな関心になっていました。
 しかし、局所的な公害問題とは違って、地球規模の広がりを持ち、同時に一人一人のライフスタイルにまで関わってくるような環境問題の議論では、社会のコンセンサスを得ることが容易ではありません。スウェーデンでも、科学者たちは見解の対立で言い合いばかりしていたために、企業や行政も意思決定ができないまま有効な対策を打ち出せずにいました。また、環境保護団体の発言も過激な企業批判のみに終始して、建設的な議論には至らぬまま時間が過ぎていったのです。
 こうした対立の状況を、皆の意見が一致するポイントを対話の中から見つけ出すことにより克服しようとしたのがカール・ヘリンク博士でした。環境の悪化が明らかにガン患者の増加を招いているのに何の対策も進んでいないことを深く憂慮していた博士は、1989年にスウェーデンの著名な科学者50人あまりの合意を経て、環境問題の拠り所となるコンセンサス・ドキュメント(統一意見文書)を作成、社会の意思決定者である企業や行政の人々に向けて“持続可能な社会への羅針盤”を提供しました。さらに、同年4月には、スウェーデン国王を後援者に、大企業や科学者などの組織をスポンサーとして、小冊子(写真参照)と付属のカセットテープ430万部をスウェーデンの全家庭と学校に送付しました。この壮大なプロジェクトを成功させたことで、ナチュラル・ステップの活動は広く社会に知られることとなり、現在では、イギリス、カナダ、日本、イスラエル、ブラジル、アメリカなど世界12カ国で活動を展開するまでになっています。
 

●持続型社会を満たす「4つのシステム条件」

 
  ナチュラル・ステップが目指すのは、環境保護と経済的発展が両立する持続可能な社会です。環境対策と経済はコインの裏表であり両立し得るという認識の下、批判ではなく対話、科学的な視点をベースに政治的にも宗教的にも中立、というのがナチュラル・ステップの基本的な方針となっています。
 持続可能な社会を実現するためには、まず持続可能な社会とはいったいどんな社会なのか、その具体的な姿を定義しておかなければ物事は先に進みません。ナチュラル・ステップでは、科学的知見に基づいて、持続可能な社会を満たす条件を「4つのシステム条件」として明確にしています。これは先ほどの統一意見文書を基盤にして、原則のレベルで、より分かりやすくシンプルにしたものです。
 また、ナチュラル・ステップは活動の対象を産業界と行政に絞っていますが、これは、状況を改善するためには何より社会のエンジンとなるセクターが変わることこそ最も効果的と考えるからです。
 提供するサービスは、経営者向けのトップ・セミナー、全社員参加の環境教育、持続可能性分析、環境報告書の第三者報告、ステークホルダーダイアログの支援など多岐にわたりますが、企業に対しては、「環境対策はすぐに結果が見えないけれど、先に先に予防原則で対処していくことが、リスクを避けることになるし、社のイメージアップにもなる」と説得しています。環境対策を怠ったら将来のコストがどれだけ大きなものになるか、それを考えれば、今から投資して取り組んでいくほうが戦略的に有効だし将来の勝者たる道につながる、というのが私たちのメッセージです。

 

★持続可能な社会の「4つのシステム条件」

  持続可能な社会においては

  1. 自然の中で地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
  2. 自然の中で人間社会が作り出した物質の濃度が増え続けない
  3. 自然が物理的な方法で劣化しない
  4. 人々が自からの基本的ニーズを満たそうとする行動を妨げる状況を作り出してはならない

※詳細はナチュラル・ステップ ジャパンのホームページ(http://www.tnsij.org)をご参照ください。

 

●「バックキャスティング」という思考方法

 
  もうひとつ、ナチュラル・ステップの活動を特徴づけているのが、「将来のゴールから現在を振り返り対策を考える」という思考方法を取り入れていることです。これは、「4つのシステム条件」が満たされたとき自分たちの会社はどんな製品やサービスを提供するのか、その成功した姿をまず明確にして、そこに到達する具体的なプランを立てるというやり方で、私たちはバックキャスティングと言っています。
 環境問題では、ともすれば現在の状態だけに目が向いて「今できることをやる」といった対症療法的な進み方(フォアキャスティング)をすることが少なくありません。しかし、二酸化炭素を減らす、有害物質を減らすといっても、それはいったいどこをめざしているのか、最終ゴールの明確なビジョンを持たずに闇雲に前へ進むだけでは、費用も労力も時間もすべてを浪費する結果になりかねませんし、おかしな方向に行く危険性も大きい。これに対して、今は乖離しているけれど、到達すべきビジョンに向けてどんな戦略が必要なのかを考えるほうが、遥かに確実で有効なのです。
 ナチュラル・ステップの活動に初めに参加してくれたのは、こうした考え方を理解して、やる気を起こした企業でした。特に、特定フロンによるオゾン層破壊の問題で環境団体の激しい批判に晒されていた家電業界などは意識が高く、例えばエレクトロラックス社(スウェーデンの電機メーカー)は、「4つシステム条件」に基づいて特定フロンをノンフロンのイソブタンガスに切り替えています。日本の企業は代替フロンを選ぶ方向を取りましたが、エレクトロラックス社は分解性のノンフロンガスに切り替えることで、今日本の家電メーカーが抱えている問題を回避することができたわけです。また、倒産寸前だったスカンディックホテルチェーンは、ナチュラル・ステップのセミナーを受けた社長が「環境で立ち直る」という方針を決定して大規模な環境投資を行った結果、数年で黒字に転換することに成功しています。
 こうした活動の結果、いまではスウェーデンの企業で環境対策に迷っているところはまずないといっていいでしょう。必要性は完全に理解されました。今は多くの企業が具体的にどう効率よくやっていくかを考える段階に入っており、私たちも可能な限りそれを支援していきたいと思います。
 

●最初から持続可能な製品はない

 
  ナチュラル・ステップでは現在、ノルウェーの塩ビメーカー、ノルスク・ヒドロ社への支援を行っています。同社は、トップセミナーと従業員セミナーを実施した上で、「4つのシステム条件」に基づいて「5つのチャレンジ」と名づけた長期ビジョンをまとめていますが、その内容は、(1)カーボンニュートラル(生産工程と原料に化石燃料を使わない)、(2)生産時に難分解の物質を出さない、(3)製品の中に有害物質を添加しない、(4)100%リサイクルする、(5)サステナビリティーを考えていくための啓発活動をする、というものです。
 ご承知のように、北欧は塩ビに対して厳しい見方が強く、環境団体の中にはノルスク・ヒドロ社のビジョンは絶対に達成不可能と批判する意見もあります。しかし、ナチュラル・ステップとしては、すぐには実現できなくとも、企業が自らやるという以上は、できるだけその努力を応援をしたいと考えています。
 かつて合成樹脂の中で塩ビだけが激しく批判された時期がありましたが、気をつけなければならないのは、今の社会はシステム全体が持続不可能なのだということです。もちろん塩ビも満たされないところはあるけれど、他のものでも、例えば紙でも木でも殆どが同じように問題を抱えています。石油でなくバイオマス燃料ならいいのかと言えば、熱帯雨林を伐採してサトウキビを植え、農薬をいっぱい使う方法で生産されるとすれば、それは、決して持続可能だとは言えません。
 つまり、最初から持続可能な製品はないのであって、大切なのは持続可能なようにマネジメントしなければならないということです。「4つのシステム条件」の有効性はまさにこの点にあります。つまり、「4つのシステム条件」を満たさない限り、それは持続可能な製品とは言えないということが判断できるわけです。
 塩ビも、「4つのシステム条件」を満たせば、持続可能な社会でいろいろ貢献できる可能性を持つ製品だと思います。難燃剤が要らないとか非常に長寿命であるとか、良い点もたくさんあります。問題はどうマネジメントしていくか、なのです。
 

●「森のムッレ教室」との出会い

 
  私が環境活動と初めて関わったのは、今から20年ばかり前、スウェーデンの幼児向け環境教育プログラム「森のムッレ教室」と出会ったのがきっかけでした。ムッレというのはスウェーデンの森の妖精のことです。教室では、保育園児を森に連れていって生き物と遊ばせたりしながら、自然が循環していることを教えていきます。私は娘を教室に通わせていたこともあって、主宰団体である野外生活推進協会のリーダー養成講座を受講したのですが、まだ白紙の子どものころから自然に触れさせることがいかに大切かを知って強い感銘を受けました。
 それで、日本でもぜひ「森のムッレ教室」を広めたいと思って、1990年に初めてその活動を紹介したのです。1992年には、日本野外生活推進協会(森のムッレ協会)も設立しました。現在では兵庫、新潟、岐阜などに支部ができているほか、滋賀県でも活動が始まっています。これまでに教室に参加した子どもたちは2000人以上に達します。
 「森のムッレ教室」の次に関わったのがアフリカ象を守る運動です。1989年ごろ、アフリカ象が絶滅しそうだというニュースがスウェーデンで注目を集めて、私は友人と「アフリカ象を守る会」を結成して募金活動などをやっていたのですが、だんだん自分の行動に自信が持てなくなってきました。「いくら野生の動物を守っても、爆発的に増えているアフリカの人間(あるいはその生活)と動物は必ずどこかでぶつかり合う。私がやっていることは絶滅を先延ばししているだけじゃないのか」という疑問が拭えず、毎日毎日悩んでばかりいました。
 ナチュラル・ステップに出合ったのは、ちょうどそんなときです。文字どおり目からウロコの体験でした。そうなんだ、持続可能な社会を作らなければいけないんだ、と分かって初めて光が見えた気がしました。自然保護中心だった私の活動は、「4つのシステム条件」のうち3番目の条件しか考えていなかったのです。しかし、自然保護だけやっていては自然保護ができない、世界の貧富の差が拡大している限り環境保全も自然保護もできないのだと気づいて、ナチュラル・ステップの活動に加わる決心をしたのです。
 

●未来を生きる子どもたちのために

 
  ナチュラル・ステップ ジャパンを設立したのは1999年です。とにかく日本でこの環境教育のサービスを提供したいと思い、その2年前から有志7人で一生懸命準備を進めて、1999年の10月に日本国内のNPOとして登録されました。自治体では滋賀県や長野県などのほか、岐阜県白川村や私の出身地である兵庫県市島町、沖縄・那覇市などが積極的に参加してくれました。白川村、那覇市では、全職員への環境教育を導入していただきました。ところが、企業においては、トップセミナーや、組織内での幅広い全社員教育の必要性は、期待していたほどにありませんでした。
 いろいろ考えて分かったのは、日本人は「なぜ(WHY)」と「どうやって(HOW)」の両方を一緒に提供しなければ納得してくれない、理念だけでは駄目だということです。スウェーデン人は、まず「なぜなのか」という理屈を納得できるまで知った上で「どうやって」は自分で考えます。しかし、日本では「4つのシステム条件」を説明しても、「それは分かりますが、じゃあ具体的にどうしたらいいんですか」と聞かれるのです。
 この国民性の違いには大変苦労しましたが、2001年になってようやく、松下電器産業が日本で初めて環境報告書への第三者意見を求めてきたのを皮切りに、積水ハウス、日本マクドナルド、サントリー、NECなどから相次いで同様の依頼が続くようになりました。現在のところは環境教育よりそうしたニーズのほうが多いのが実状です。
 ただ、この問題については、ナチュラル・ステップの教育が「なぜ」の説明と「指針」の提案だけで、「どうやって」の部分を提示できるノウハウを持っていなかったことも原因だったと反省しています。そこで今度から戦略を変え、具体的な支援ができるような活動をしたいと思っております。
 やはり、目に見える具体的な形で「どうやって」の部分を示すことができなければ、日本では難しいと痛感しています。
 それと、今年はムッレ教室のほうももっと力を入れたいと考えています。未来を生きる子どもたちのためにできる限り自然に触れるチャンスを作ってあげたい。5〜6歳の幼児に必要なのは必ずしも大自然ではありません。近くの公園でいいんです。ただ、親の仕事が忙しすぎて連れて行ってあげる大人がいない。それで、こういうことに興味を持つ社員のいる企業に、会社のCSR(社会貢献)活動として協力してもらうことにしました。幸い三菱電機が賛同してくれて、森のムッレ協会のリーダー養成講座を受講した社員が中心になって、10月には日比谷公園に銀座の幼稚園児を連れて行く計画になっています。そういう活動をもっともっと広めていきたいと思います。
 
 
■プロフィール 高見 幸子(たかみ さちこ)
兵庫県生まれ 1972年神戸山手女子短期大学英文学部卒。1973年ミシガン州立大学留学、1978年国立ストックホルム大学卒業(教育学専攻)。
1974年からスウェーデン在住。ストックホルムで日本語教師を務めた後、1984年から野外生活推進協会が主宰する「森のムッレ教室」のリーダーとして活動。1992年日本野外生活推進協会(森のムッレ協会)を、1999年NPO法人ナチュラル・ステップ ジャパンをそれぞれ賛同者と設立。企業、自治体の環境対策支援活動により注目を集める。
主な著書に『北欧スタイル快適エコ生活のすすめ』共著(オーエス出版社)、『続地球の限界』共著(日科技連出版社)、『日本再生のルール・ブック』(海象社)、『エコゴコロ−環境を仕事にした女性たち』共著(共同通信社)などがある。