●アカデミズムの枠を超えて
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鳥取環境大学が全国唯一の環境科学専門校として設立されてからほぼ3年半、来年はようやく第一回の卒業生を出すというところまできました。この学校は、鳥取県と鳥取市が施設建設を担当し、完成後は私立大学として学校自らが独立運営するという公設民営方式のモデル校に位置づけられていますが、実際のところ学校経営というのはそう簡単なことではありません。学校の規模もまだ小さいし、教授陣も学会や産業界から優秀な先生を結集していますが、数の面から言うともっともっと多くの人材をそろえたいと考えています。
しかし、最近でこそ環境関係の学部を備えた大学がいろいろ出てきたとはいえ、既成のアカデミズムの枠を超えた文理融合型の教育体制を備えた4年制の環境大学というのは、依然として当校のほかにはありません。そういう意味で、当校の社会的責務は今後ますます重要になっていくと思います。
私が当校の設立に際して第一に意図したことは、なるべく文理融合型の学校にしたいということでした。というのは、これからの環境問題は、理科系の専門知識だけでなく、人文・社会科学の素養を併せ持った、幅広い視点の人材が求められると思うからで、我々が環境情報学部の中に環境政策、環境デザイン、情報システムという三つの学科を設置したのも、企業や行政の第一線で総合的、多角的な視野に立って環境問題に取り組むことのできる人材を育てたいと考えたからです。 |
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●文系と理系の接点に潜む問題
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これまでの環境問題では、技術開発やデータの収集・分析といったことは理科系、それに基づく意思決定は文科系の人間に任されてきました。しかし、環境問題は理科系の問題に加えて社会問題や政治問題の要素が絡み、解決には非常に総合的な意思決定が必要となります。にも関わらず、最近の環境問題の対応策を見ると、それがほんとうに社会にとって合理的な処置なのかと疑われる例がずいぶんあるように思えてなりません。そして、そうした問題の発生源は、どうも文系と理系の接点のあたりに潜んでいるように思えるのです。
例えば最近、ヨーロッパでの規制の動きなどを受けて、鉛フリーハンダを使った製品開発がいろいろと進んでいるようですが、中には鉛フリーにするよりも、ふつうのハンダのままで完全回収するほうが安全でもありコストも安いということがかなり多く見受けられます。アンチモンやビスマスといった鉛の代替鉱物がほんとうに安全なのかといえば、鉛については数百年、ローマ時代も考えれば数千年におよぶ人体影響のデータの蓄積があるのに、アンチモン、ビスマスについてはそういうデータは殆どなく、これから先どんな問題が出てくるか誰にも分かりません。
もうひとつ別な例を挙げると、私の友人にイタリアで網戸を製造して、スペインからスカンジナビア半島まで幅広く輸出している人物がいます。その彼が最近、「もともと塩ビで作っていたのをポリプロピレンに切り換えたが、排気汚染や磨耗に弱くてすぐ使えなくなる。どうしたらいいだろう」と相談に来たので、「塩ビに戻せばいい。但し、これは塩ビだから勝手に捨てないでくださいと表示した上で、きちんと回収して適正に処理すればいいじゃないか」とアドバイスしたら、「それじゃ輸出できない」と言うわけです。
つまり、塩ビの追放も鉛フリーハンダの問題も科学的、現実的に見て合理的な安全管理のためというよりは、政治的な規制をクリアするためだけにやっているに過ぎない、言い換えれば、政治的なイデオロギーで不合理な決定が押し付けられているように見えて仕方がないのです。
鉛を使わなければ安全だというのは予防原則に基づく考え方ですが、完全予防というのはリスクマネージメントとはかけ離れた思想であって、およそ科学的とは言えません。予防原則を徹底したらどれだけのコストがかかるか、技術的なバックアップはあるのかといったことを考えると、この言葉ほど素人考えで安直に使われているものはないとさえ言えます。それなのに、行政の人間や政治家は「これで住民を説得できる」とか「これで大丈夫だ」とか思い込んでしまう。そして、そうした判断を下す人々というのは、大方が一流校の法学部を出た秀才だったりするわけです。
つまり文系と理系の接点、文理融合の視点からものを見る訓練ができていない。長期的に考えるとこれは大変危ないことのような気がします。
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●環境倫理学の視点
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私の専門分野である環境倫理学(Environmental Ethics)も、そうした総合的な視点から環境問題を読み解こうとするものです。
倫理学といいますと、何か非科学的なものを無理やり押し付ける学問のように受け取られるかもしれませんが、決してそうではなく、世界規模で進む環境破壊、そしてそれを生み出した要因である法律、政治、経済といった社会の意思決定の仕組みを、地球の有限性という原則に立脚して、倫理的な視点から捉え直すということを主眼にしています。
例えば、環境倫理学では生物資源の保存ということを強く主張しています。生物資源の保存というと、これまでは非科学的というか、人間なんてどうなっても生物を守れといった過激な主張を唱える環境学者が多かったけれども、我々が言うのはそういうことではなく、実際問題として生物の保存が人間の生存条件を左右してくるということです。
では、なぜこれまで生物を守るということがちゃんと機能してこなかったかというと、それはこれまでの人類が所有権の認められたものしか守ってこなかったからです。
所有権のないものは守らなくていい、所有権が認められて初めて法律によって守られるんだという考え方は古代のローマ法以来ずっと続いてきた原則でした。生物資源も、誰の所有でもない限り煮て食おうと焼いて食おうと勝手で、生物に対する侵害を誰も保護することができなかったのです。
これに対して、未知の生物も含めて所有権のない生物を守らなければならないという原則を立てないとこれからの人類は危ういぞ、と我々は主張しているわけです。
■環境倫理学とは―
ローマクラブ報告書『成長の限界』(1972年)を契機に確立された環境学の新分野で、次の三つの主張を基本とする。
- 自然の生存権の問題・・・・・・
人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない。
- 世代間倫理の問題・・・・・・
現在世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
- 地球全体主義・・・・・・
地球の生態系は開いた宇宙ではなくて閉じた世界であり、利用可能な物質とエネルギーの総量は有限。
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あるいは世代間倫理、つまり未来の世代に対する責任の問題も環境倫理学の大きなテーマです。現代の政治では今生きている人間が合意すれば、例え未来世代の利害を踏みつけにするようなことであっても何でも決定してかまわないことになっていますが、そういう政治的なシステムは果たして本当に正しいのか。平気で現代社会がやっていることは環境の点から見ると非常に危険ではないか、というのが環境倫理学の考え方です。
中でも、エネルギー資源をいかに枯渇させずにおくかということは、未来世代に対する我々の最大の責任であって、いま枯渇型資源を使っていること自体が未来を危うくすると言えます。そこまで考えると、世代間倫理の問題は、政治的なシステムの問題から枯渇型資源に依存する現在の産業体制、さらにはその依存状態からどうやって脱却するかという技術的な課題とも結びついてくるわけで、文理にわたる総合的なバランスの取れた視点を持たなければ問題を解くことは不可能だということになります。
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●鳥取環境大学のめざすもの
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鳥取環境大学では、こうした環境倫理の思想に根ざした、視野の広い、企業活動や行政の現場で役に立つ人材を育てたいと思っています。ある意味で、これからの大学は研究機関というより人材の養成機関であるべきだというのが私の考え方です。
特に最近の学生は、高校時代のトラウマかもしれませんが、理系の勉強を敬遠する傾向が見られます。しかし、例えばリスクマネージメントにしても、危険の確率に対するある種のセンスと、リスクを計算できる科学的な知識の両方が養われていなければ現場で役立てることはできません。
私としては、極端に高いレベルでなくとも、まずは当校のすべての学生が環境管理についてのバランスの取れた知識を身につけられるようにすることが第一だと考えています。例えば、自分がどこかの工場に勤めたときに、そこの騒音や水の中の有機物を測定して、その排水が危険なレベルの汚染度なのかそうでないのか、あるいは工場の環境管理をどうしたらいいのか、といったことを会社から任せられたらすぐに判断できるような人材を育てたいと思っています。
それと、実は今、県内に生息する動植物の絶滅危惧品種について、地元の小中高校が必ずどれかひとつを守っていくということを提案しています。学校の中に研究室を作って、その種が絶滅しないように生徒たちが観察したり、飼育したりしてめんどうを見る、あるいは周辺の環境を守るための活動をする。他県では、オニバスという植物を新潟県の小学生が管理しているなど既に具体的な事例もいくつか出ています。
鳥取県では実際の活動はまだ始まっていませんが、絶滅が危惧される生き物をみんなで大事に育ててちゃんと守り抜いたというプライドを持たせることは大変いいことだと思います。うちの大学としても、地元の生物保護団体と子供たちとのネットワーク作りを手伝うとか、効果的な役割を担うことができればと考えています。 |
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■プロフィール 加藤 尚武(かとう ひさたけ)
昭和12年東京生まれ。東京大学文学部哲学科卒、同大学院人文科学研究科修士課程修了。哲学・倫理学専攻。昭和57年千葉大学教授、平成6年京都大学教授などを経て、平成13年、鳥取環境大学の設立と同時に学長に就任。日本におけるヘーゲル哲学の第一人者であるとともに、環境倫理学のパイオニアとして知られる。平成6年和辻哲郎文化賞、平成12年紫綬褒章。9.11テロとイラク戦争など、世界の現状に向けても積極的な発言を続けており、平成14年には建築評価に環境の視点を投入した「建築物の長寿命化」の提案で、日本建築学会文化賞を受賞した。『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)『技術と人間の倫理』(日本放送出版協会)、『価値観と科学/技術』(岩波書店)など著書多数。 |