2003年12月 No.47
 
持続可能な社会を支える「グリーンケミストリー」の可能性

 

 

 東京大学名誉教授/工学院大学教授
 (社)日本化学会次期会長        御園生 誠

●市民の立場で考えるモノづくり

 
  最近、モノづくりに関して非常に強く感じるのは、メーカーの人も大学の研究者も、これからは作る側からだけでなく使う側の視点、つまり一市民の立場からモノづくりを考えるようにしなければならないということです。
 例えば、シックハウスなどという問題が起こってしまったことは、化学技術に関係する者として誠に残念なことだと思います。安くて高機能なものだけを追いかけてきた結果、住む人の立場、製品の安全性や環境への影響といったことへの視点が欠落してしまっていたということではないでしょうか。
 結局、メーカーも大学の研究者も長い間ずっと、高度経済成長路線をベースに突き進んできたわけで、安全や環境にまで手を回していたら世界の競争に遅れてしまうという価値観に支配されてきました。それには止むを得ない面があったとしても、やはりそれだけではいけなかったのだと思います。
 高度成長期の右肩上がりはもう無理だということは見えてきました。人間がこのままの活動を続けていけば資源・エネルギーの供給は限界に達し、活動の結果生ずる環境破壊や有害化学物質によって人々の生活は極めて厳しいものになることが懸念されます。
 人間が、量的にも質的にも安心して生活できる社会を持続するためには、メーカーも大学も「環境にやさしい作り方で環境にやさしいモノを作る」という配慮を強めていく以外に道はないのです。
 グリーンケミストリー、あるいはグリーンサステイナブルケミストリーとも呼ばれる考え方は、こうした必要性から生まれてきたものです。
 

●「環境にやさしいモノづくり」の化学

 
  グリーンケミストリー(以下、GC)とは、一言で言えば、「環境に格段にやさしいモノづくりの化学」とそれを推進する運動のことで、1992年の国連環境会議で持続的発展が取り上げられて以降、アメリカからはじまり新たなうねりとなって世界的な広がりを見せています。その目的は大きく分けて三つ。ひとつは「環境負荷の大幅な低減」、二つ目が「経済性・効率性の向上」、そして最後が「社会とサイエンス、それに携わる専門家との信頼関係の醸成」ということで、どれも一朝一夕では実現が不可能な難しいテーマです。
 ただ、GC的な考え方は決して突然出てきたものではありません。特に日本は省エネ製品の開発などで昔から先進的な成功例を多く生み出していますし、私の専門である触媒の分野でも、環境触媒(環境調和型触媒プロセスおよび排出した有害物をきれいにする触媒)の研究などは、日本のほうが欧米よりずっと先を行っています。
 ですから、アメリカでグリーンケミストリーという言葉が出てきたときは「何をいまさら」という気もしましたが、この運動のいいところは「有害な物が出てから処理するのでなく、最初から出ないようにモノを作ろう」という一種の予防原則を基本にしていることで、病気に例えれば診断、治療、予防のうち予防に力を入れればずっと効果が高いという考え方に最大の特徴があります。また、異業種も上流も下流も含め皆で協力してR&D(研究開発)に取り組もうという姿勢も特徴的な点です。
 日本では1999年にグリーンケミストリー研究会が?日本化学会の中に組織された後、2000年3月に産官学の連携で「グリーン・サステイナブルケミストリー ネットワーク」(Green & Sustainable Chemistry Network, Japan/略称:GSCN)が設立され、GCに関する研究の推進と支援、国際交流などのほか、シンポジウムの開催、GCの推進に貢献のあった個人・団体の表彰(GSC賞)などの活動を行っています。この賞は、平成15年からは経産、文部科学、環境の三つの大臣賞になりました。
 私も今年の4月まで3年間初代の運営委員長を務めましたが、最近になってようやく活動が軌道に乗ってきたという感じを強くしています。経済産業省でもGCを日本の産業政策の中核的な戦略に位置付けつつあり、これから飛躍のための第2ステージというところです。
 

●持続型社会へ焦らずに、じっくりと進む

 
  破綻の危機を克服して持続的社会をめざすために化学技術はどのように転進すべきなのか。これは大変難しい命題で、巷には、楽天的技術論から悲観的運命論、さらには精神論までさまざまな議論がなされていますが、私はそのいずれにもくみしません。
 正しい方向に向かって足元から一歩一歩努力を積み重ねていけば、今世紀中には緩やかな持続的発展への軌道に乗れるのでないかというのが私の考えで、その意味では楽観論と言えるかもしれませんが、近視眼的で性急な技術開発には慎重な考えを持っています。
 例えば、リサイクルにしても性急なリサイクル至上主義には賛成できません。使用済みの物質や素材を再利用、リサイクルして、その循環する量の割合が全消費量に対して大きい社会を循環型社会と呼びますが、この循環には大量のエネルギーを必要とするので、どういうリサイクルがよくてどういうリサイクルは良くないのかを個別に精査することがきわめて重要です。
 循環型社会は目的ではなく、あくまで持続的な社会を作るための一手段に過ぎません。ぐるぐる回していくことで悪いことが出てくるかもしれません。資源を使いまわすことに反対するのではなく、何がいい対策なのかよく分からないのに、性急に結論を出して大規模にそれを実施するのは危険ではないかと言いたいのです。
 私はもっと大きな流れを見ることが大事だと思います。実家が寺だったせいか、私は輪廻と無常ということを考えます。この世には四季の移ろいや生き物の命をはじめとしていろいろな循環の形がありますが、循環しているように見えて実はすべてが変化しています。一年一年少しずつ変わっていってやがてはまったく別な姿になる。
 そういう大きな変化の中で小さい渦をあちこちかき混ぜて起こすと、却っておかしなことが起こることもあるのではないでしょうか。むしろ、大きな変化に身を任せて時間をかけてじっくりよい対策を選択することが大事だと思っています。
 確かに問題は大きいが、そんなに焦ることはありません。私たちは今、練習問題を解いているようなものです。リサイクルにしても、今はとにかくどのあたりが落としどころなのか、練習問題を解きつつ学習している段階なのだと思います。
 

●社会と化学の信頼関係こそ最重要

 
  先ほどGCの目的のひとつとして「社会とサイエンス、それに携わる専門家との信頼関係の醸成」ということを挙げましたが、私はこのことこそが持続的社会の構築にとって最も重要な課題だと思っています。そして、そういう信頼づくりのためには、化学者が持っている化学技術や化学物質に関する情報をすべて社会にさらけ出して、市民に判断してもらうことが何より必要だと思います。もちろん、判断基準となる情報を提供することは不可欠です。
 言うまでもなく、化学技術や化学物質のリスクは程度の問題です。最強の毒物であるボツリヌス毒素を薬として利用する研究が進められている一方で、風邪薬を殺人に使う人間がいる。薬と毒は基本的には同じ作用で、適切に使われればよい働きをし、不適切なら毒になるわけです。つまり、化学にリスクゼロということはあり得ず、要はどのへんで手を打つかという問題なのです。交通事故の危険がある自動車をリスクとベネフィットを比較して使い続けているのもこれと同じことです。
 私は、化学者が知る限りの情報・知識を分かりやすい形で市民に提供し、市民がそれを見て安全の程度、あるいは許容し得る危険の程度を判断するということを繰り返す中で、常識的な判断のレベルが一致してくる、言い換えれば信頼関係が出来上がってくるのだと思います。また、それがなければどんなに言葉を費やして説明してもだめだと思います。
 ある鉄道専門の研究者から聞いた話ですが、JRの電車が事故を起こした時に、現場の車掌と本社の間で交わされた緊急通話の内容がたまたま乗客に全部洩れてしまった。ところが、そのせいでどの程度の事故かがはっきり分かって乗客はかえって安心したというんです。
 メーカーの人と話していると、マスコミの非科学的な報道や過激な市民団体の言動などに苛立っているのを感じますが、一般の市民やNGOのメンバーの中にはもっと賢い、科学的に物事を判断している人が大勢います。市民の平均値は私たちが考えるよりもっと高いと思います。
 

●自信と志を持って化学の振興を

 
  今年、天皇皇后両陛下をお招きして開催した日本化学会の125周年式典で、天皇陛下がこんなお言葉を述べられました。
 「化学は非常に良くやってきたし、化学にはいい面もあるが、同時に悪い面もあることにも配慮してほしい。その意味で日本化学会が環境安全の問題に関していろいろな取り組みを積極的にすすめているのは心強い限りです」と、おおよそそんな意味のことをおっしゃっていただいたのです。
 化学者は自信を失う必要はありません。化学製品は有用であるが故に私たちの日常生活にひろく浸透しているのです。過去の苦い経験は反省した上で、化学の重要性、有益性に確固とした自信を持って、高い志と倫理観を失わずに、真に社会のためになる化学を振興すべきです。グリーンケミストリーはまだ成長途上の運動ですが、今後時間をかけて確立していくことで、そうした化学の振興を促す大きな力になると確信します。
 

 

■プロフィール 御園生 誠(みそのう まこと)
工学博士
1939年、鹿児島県生まれ。1966年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。現在、工学院大学工学部環境化学工学科教授。東京大学名誉教授。
平成12年より日本学術会議会員。?日本化学会の環境安全推進委員長などを歴任。来年度から日本化学会会長に就任予定。
主な著書『グリーンケミストリー・持続的社会のための化学』(講談社、編纂)『グリーンマテリアルテクノロジー』(同)『触媒化学』(丸善、共著)などがある。