2003年6月 No.45
 
生態系に配慮した理想郷
 「エコトピア社会」の構築をめざして

  トータルな視点で環境問題解決に挑む。
   日本学術会議・化学工学研究連絡委員会の提言

  日本学術会議会員 化学工学研究連絡委員会 委員長
  東京大学名誉教授/崇城大学工学部教授  古崎 新太郎

 

●「エコトピア社会」とは何か?

 
 日本学術会議の化学工学研究連絡委員会(化工研連)では今年1月21日付けで、「エコトピア社会の構築を目指して」と題する対外報告書を発表しました。
 この報告書は、私が化工研連の第18期委員長に就任した3年前から検討に着手したもので、地球環境問題の解決や循環型社会構築のあり方について、化学工学の立場から社会に対する提言をまとめています。
 環境問題や循環型社会をテーマにした提言は、これまでもいろいろ出ています。日本学術会議でも重要な課題としてこの問題を取り上げていますが、今回の化工研連の提言は、これまでとは違ったトータルな視点からこの問題を検討している点が大きな特徴となっています。
 化学工学はもともと化学装置の設計から始まった学問ですが、その後種々のシステムを対象とするようになって、いまや解析の対象を問わないといっても過言ではありません。トータルでものを見ることができるという点が化学工学の強みで、循環型社会はそうした学問には最適のテーマと言えます。
 ただ、提言に示したエコトピア社会とは、必ずしも循環型社会と同義語ではありません。循環型社会は「資源・エネルギーの供給の限界を克服する持続型社会」と言えますが、同時にまた、「良好な環境を維持して自然と共存する社会」と言うこともできます。エコトピアという言葉には、そうした生態系に悪影響を及ぼさない生物のユートピア(理想郷)、環境に配慮した持続型社会という意味が込められています。
 この言葉はアメリカのカレン・バックが名付け親で、京都大学の内藤正明先生が同じタイトルで本を書かれたこともあります。いずれにしても、循環型社会を包括するもっと大きなエコバランスの実現をめざすのが我々の提言の趣旨なのです。
 

●「循環型社会」だけでは不十分

 
 環境問題の根本的な原因を考えれば、人間の活動が拡大して資源開発が飛躍的に増加した結果、廃熱やさまざまな副産物、使用済み製品が大量に環境中に排出したことに行き着きます。 現在、全世界の人口は60億人を超えています。しかも、こうした地球規模での人口増加は今後まだしばらくの間続き、生活水準の向上をめざした経済活動の拡大も継続していくと考えられます。この調子でいけば人類は地球上の資源を食い尽くし、あと100年も生きられないかもしれないと予測する人もいるほどです。
 今こそ、経済活動が増加しても環境負荷自体は増加しないような社会構造、経済成長と環境負荷増大のリンクを切り離すことを真剣に考えなければなりません。そのために循環型社会の構築は必要条件ではあってもまだ十分条件とは言えず、ほかにもやらなければならないことがたくさんあります。
 特に、ライフスタイルの転換は非常に大きな要素になるでしょう。環境教育や環境活動への積極的な参画を通じて、消費者自らが循環型社会にふさわしい価値観やライフスタイルの変更を実現することが不可欠だと思います。
 工業生産の立場からは、廃棄物を少なくできる生産プロセスや長寿命型製品の開発、再利用・リサイクルを可能とする製品開発が望まれますが、循環型だからといって何でもかんでも循環させればいいというものでもありません。コストの問題も考えなければならないし、場合によっては燃やしてサーマルリサイクルしたほうがいい場合もあるでしょう。経済性の評価を含めて物質とエネルギーの循環について考慮した、最適なシステムを構築することが重要です。
 さらには異業種間の循環、産業間の協調も必要不可欠です。ある業界のリサイクル技術がほかでも使えるかもしれませんし、逆にそれぞれがバラバラにリサイクルするのでは効率も悪く、エネルギーも無駄遣いして、かえって全体としては環境を汚染する場合もあり得るからです。
 

●ドゥタンク(Do Tank)構想の提案

 

 このように、環境問題の解決と経済の適度な成長とを内蔵させつつ人間が生き延びていくための多様な要素を含むのが、我々の提言するエコトピア社会のイメージです。その形成には、総合的な評価と設計が必要であり、ライフサイクルアセスメントも重要な役割を演ずることになるでしょう。
 例えば塩ビにしても、塩素を含むからすべてがダメだとは私は考えません。用途に応じた使い方ができて、リサイクルシステムが完成されていれば、塩ビ管などの耐久資材は経済性も含めて非常に有用性の高い材料だと思います。
 要は、適材適所で使いながら使用済み製品をリサイクルして全体の流れをコントロールしていくほうが社会全体としては望ましいのであって、むしろ、家を建てて数十年で壊してしまうような生活スタイルのほうこそ問題だと言わなければなりません。
 自動車のエンジンのように、排ガスのNOxを減らそうとして酸素の比率を下げると、逆にカーボンの粒子が増えてしまうといった問題も、結局は全体のバランスを考えた最適な計画がないためにあちらを立てればこちらが立たないということになってしまうわけです。
 今回の提言では、科学技術だけでなく社会科学までも含むトータルな視点で計画を立案して社会を指導していく機関が必要ではないかという考えから、従来のシンクタンク(Think Tank)に対してドゥタンク(Do Tank)という機関の設立を提案しており、これが提言の最大の眼目となっています。

 

●実践を伴うヘッドクォーター役

 
 ドゥタンクとは、実行プロセスまでも視野に入れた政策策定・実行支援機関であり、エコトピア社会の構築のためにこれからの日本がどうしても持たなければならない新たな仕組みと言えます。
 科学技術を社会に還元するために、国の科学技術政策を決定する機関として総合科学技術会議が存在します。しかし、この会議の主なミッションは、政策の調査、科学技術に関する予算や資源の配分、国家的に重要な研究開発の評価にとどまっています。
 また、シンクタンクも各省庁ごとにいろいろ設けられていますが、いずれも縦割り行政の中での個別の活動にとどまっており、実行のメカニズムまで立ち入って提言したり、支援業務を行うなど、Doの現場にまで踏み込んでいる機関は存在しません。科学技術の関係者自らが、社会科学も視野に入れながら総合的に政策策定の中枢にコミットするような動きも殆ど見られません。
 一方、法制度の面では、循環型社会形成推進基本法をはじめ、容器包装リサイクル法や家電リサイクル法など個別法の整備も進んでいて、もちろん、それはそれで役に立つことではありますが、個々の対策を全体的に見て調整する機能は見落されているようです。
 例えば、家電リサイクル法ではリサイクル率95%といった目標を定めていますが、リサイクル率を競うことにどんな意味があるのか疑問と言わざるを得ません。無理なリサイクルを進めることで無駄なエネルギーを消費したり、経済性が無視されてしまう場合もあるからです。
 こうした問題を解決するには、個別の技術や法律だけでは限界があります。個々の対策を総合的に評価して、これはこの程度でやめたほうがいいといった実践につながる提言ができるヘッドクォーター役がいないと限界を克服することはできません。
 

●「リスタイルの実現」がキーワードに

 
 やはり、最終的にはライフスタイルの変革がエコトピア社会のカギになると思います。バブル時代の消費生活をひきずっていては日本はおろか、世界全体が立ち行かなくなることは目に見えています。無駄なエネルギーを使わない、無駄な買い物をしない生活への転換こそが最も重要なことで、これまでの3Rに加えて、リスタイルの実現が重要なキーワードになることは間違いありません。
 ドゥタンクが人文・社会科学系の学問の役割を重視するのはそういう意味からです。エコトピア社会の設計を遂行するためには、人文・社会科学、自然科学のあらゆる分野の学術の成果を駆使して、広く市民・産・官・学のコミュニティーから構成される機関が必要なのです。その点、日本学術会議は社会科学、経済学、理学、工学、医学など多分野の専門家が横断的に参加していて、ヘッドクォーターの役割にはふさわしいと言えるかもしれません。
 また、厳しい国家財政から見てもいますぐ新しい機関を作れるような状態ではありませんから、当面は日本学術会議がドゥタンクの機能を担うことになると思いますが、本来学者集団の組織がそこまで踏み込むのはちょっとやりすぎかとも思います。今回の提言には書いていませんが、本当は総理大臣の直轄として内閣府の下に設置して、ドゥタンクが内閣府に意見を述べて、内閣府が全体を調整するという形がいちばんいいのではないかと考えています。
 
■プロフィール 古崎 新太郎(ふるさき しんたろう)
東京都出身。工学博士。昭和35年東京大学工学部卒。同39年マサチューセッツ工科大学大学院化学工学専攻、修士課程修了。東洋高圧工業(現三井化学)を経て、東京大学大学院工学研究科教授。平成10年九州大学大学院工学研究院教授、同13年から崇城大学工学部応用生命科学科教授。平成8年度化学工学会会長。平成15、16年度日本膜学会会長。
 平成12年日本学術会議会員に選出され、化学工学研究連絡委員会の第18期委員長を務める(任期3年)。動植物バイオの研究で世界的に知られる。化学兵器禁止機関(在ハーグ)化学諮問委員会委員。主な著書に、『工学のためのバイオテクノロジー』(講談社サイエンティフィク)、『移動速度論』、『バイオ生産物の分離工学―化学工学のフロンテア』(培風館)、『Expanding World of Chemical Engineering』(Taylor & Francis Group)などがある。平成7年化学工学会学会賞、池田亀三郎記念賞受賞。