2002年6月 No.41
 
ヨーロッパ社会経済モデルと環境税のあり方

  日本再生へ、「人間の英知」による経済構造の転換を

 

 東京大学大学院経済学研究科教授 神野 直彦

●未来に失望する日本

 
 日本は今、非常な不況に陥っています。それが如何に深刻な不況かは次の数字が端的に示しています。大手広告代理店が行ったアンケート結果によると、「自分の世代が前の世代に比べて幸福になったと思うか」という問いに対して、韓国、中国では80%以上の人が「そう思う」と答えています。日本も80%近く、スウェーデンのような成熟社会では大体50%という結果です。
 ところが、「子供たちの世代が自分たちより幸福になると思うか」という問いでは、韓国・中国が80%以上、スウェーデンも50%以上が「そう思う」と答えているのに対し、日本はわずか10%に過ぎません。そればかりか、68%の人が逆に「明らかに不幸になる」と答えています。現代の日本人は未来に対して完全に希望を失っているのです。
 団塊の世代の男性を中心に自殺者が増える一方、20代〜30代の男性では「結婚したくない」「結婚に魅力を感じない」という人が女性を上回るようになっています。その第1の理由は「経済的負担に耐えられない」というものですが、要するに男性が結婚を拒否しはじめている。上の世代の男性たちが自殺しているのに、結婚に魅力を感じるわけがありません。
 さらに、結婚しない人が増えて出生率が落ちているばかりでなく、最近ではこれまでは下がっていなかった既婚者の出生率まで不況のせいで下がりはじめています。これは極めて深刻な問題です。
 

●人間が誇り得る仕事の創造を

 
 いったいどういうわけでこんな状況になってしまったのか、日本はどこかでハンドルを切り間違えてしまったとしか考えられません。私は、その間違いは人間が人間らしい誇りを持って取り組める仕事を創造することに失敗したとことから起こっているのではないかと考えています。
 以前企業で労務管理の仕事をしていたころ常に考えていたのは、人間は賃金だけでは働かない、より人間的に働けるような職場にしなければならないということでした。ところが、今の企業は作業をより単純化してコストダウンすることだけに生き残りをかけていて、経済産業省の調査では、大企業、中小企業を問わず「将来はすべて中国に投資する」と答えています。
 経済行為とは、人間が自然に働きかけ、自然を変換して生活に必要なもの(グッズ)を取り出すことです。経済学では、この変換の仕方を知恵や情報で包んで、如何に自然の破壊を少なくしていくかが経済の進歩だと考えます。社会、経済構造の変革は人間の英知によってこそなされるという事実を認識すべきです。コスト削減ばかり考えている今の日本では、単純作業のほうがいい、不正規従業員のほうがいい、さらには外国で作ったほうがいいとますます近視眼的になって、その結果、買い手を失い購買力が下がってデフレスパイラルの悪循環を繰り返してしまうのです。
 この害毒は多方面に及んでいます。教育における学力の低下もそのひとつです。どうせフリーターのような不正規従業員の仕事しか与えられないのなら、勉強したって仕方がないわけです。機械でも出来るような仕事ばかりが溢れかえって、より高度な知恵を生かせる仕事が見出せないことが、若者の学習意欲の喪失に繋がっているのだと思います。
 

●「ヨーロッパ社会経済モデル」に注目

 
 これからの日本は、これまでとは逆の方向にハンドルを切ることが必要なのです。その意味で私が注目しているのは、スウェーデンやフランスなどを中心に進められている「ヨーロッパ社会経済モデル」と呼ばれる社会経済の新しい運動です。
 ヨーロッパでは工業が衰退したと言われますが、それはモノづくりがなくなったということではありません。これまでのような大量生産、大量消費ではなく、モノを情報や知識で包むサービス産業、つまり知識集約型産業を機軸とする産業構造に転換したということです。今や世界最大のIT産業先進国に成長したスウェーデンでは、既に全国民にパソコンの配給を完了しています。
 彼らは、人やモノを動かさなければならない社会は自然破壊的だと考えます。飛行機を使って移動しなければならないような交渉事も、コンピュータ・ネットワークで情報を動かせば人が動き回らなくて済むし、その結果、地域社会に密着して、友だちと食事をしたりオペラを見に行ったり、あるいは自分の勉強に使える時間が増えるという考えなのです。
 『4万時間』という本にこんなことが出ています。人生85年に近い現代人の持ち時間はおよそ70万時間。このうち、労働に向けられる時間は、1日6時間、週5日労働を35年間続けたとして4万時間。さらに、睡眠などの生理的な時間を約35万時間とすれば、残りの30万時間が自由に使えるということになります。この時間をより多くして、文化的な生活、自然や人間との対話に使うことが人間の進歩だという論旨です。
 

●EUの「4つのE」政策

 
 要は、仕事のための人間か、人間のための仕事かということで、人生を生活時間と生産時間に分けて、生産時間をできるだけ節約して生活時間を豊かにしなければならないというのが、ヨーロッパ人の考え方なのです。
 そして大事なのは、そうした生活のゆとりが、結果として人間の能力を高め、産業を発展させる原動力になるということです。日本のように人員削減でコストを下げるのではなく、生産性向上とはあくまで人間の知識、能力に基づいた技術革新であると捉えること。これが「アメリカ経済モデル」に対抗して「ヨーロッパ社会経済モデル」と呼ばれるものの基本的な理念です。
 ヨーロッパ社会経済会議というEUの委員会が決定した「4つのE」という政策を見れば、「ヨーロッパ社会経済モデル」の具体的な中身が理解されると思います。
 「4つのE」のひとつめはempowerment。即ち、すべての人が知識社会に参加できるような能力を身につけさせることです。
 2つめはemployment。高齢者や障害者を含めて能力を与えて雇用されるようにすること。
 3つめはentrepreneur-ship。いわゆる企業家精神です。多様化したニーズに対応した多品種・少量生産を進めること。
 最後がenlargementで、こうしたヨーロッパ社会経済モデルを多くの地域に広めていこうということです。
 

●自然との共生を重視した社会システム

 
 ヨーロッパの環境運動も、基本的にはこうした思想を土壌として発展してきたものと言えます。消費を謳歌するアメリカ型のライフスタイルでは、世界は持続できない。人間が健康に働き豊かに生きていくためには、もっと自然との共生を重視した社会システムを作らなければならないという考えが環境運動に繋がっていくわけです。現在そのための具体的な政策が各国で実施されています。
 スウェーデンでは、生ごみはすべてコンポスト化されますし、生ごみ以外のものにはすべて使い捨て税が掛かっていて、ペットボトルやガラスびん、缶にはデポジットが実施されています。エネルギー節約のためにソーラーシステムを備えたエコ住宅が普及していますし、地域の街路灯や電灯にもバイオマスを利用したオガクズ発電がコミュニティごとに導入されています。そして水力発電や火力発電は大規模なところにだけ使うといった具合に、地域の人々の協力を得ながら上手にエネルギーの切り分けが行われています。
 また、フランスのストラスブールでは、トラム(路面電車)の見直しからLRT(Light Rail Transit)の導入が進んでいます。これは芝生の上の軌道を電子制御で走る次世代路面電車と言われる交通機関で、建設費が安く、音も静かで、環境にやさしいということで採用されたものです。
 ドイツやスウェーデンなどは環境教育も進んでいます。保育園のころから子供たちにしっかりと環境教育を施していて、それを子供が親に教えるというわけです。
 注意すべきは、こうしたことはすべて、お互いの顔が分かるような「名札を付けた関係」、即ち日本が失ってしまった地域のコミュニティがあってこそ可能だということです。循環型社会というのは、結局は草の根のレベルから作られるもので、上から一律に命じてできることではありません。自分たちが培ってきた文化や家族、そしてコミュニティを発展させることで初めて、荒廃してしまった環境も取り戻すことができるのだと思います。
 

●税収目的ではない環境税を

 
 ところで、さきほどデポジットについて「使い捨て税」という言葉を使いましたが、スウェーデン国内では実際には「課徴金」という言葉を使っていて税金とは言っていません。
 環境税とは、もともと環境を悪くするような行為・物質を減らすための政策ですから、その目的から言って税収は上がらないほうが望ましいわけで、むしろゼロになるのが理想です。その点で、厳密に言えば課徴金というべき性質を持った制度と言えます。
 ちなみに、いちばん狭い意味での環境税は、CO2税のような地球温暖化を防止するための税金です。もっと広い意味では、NOxのような環境に悪い排出物を課税標準にするやり方があります。そしてもうひとつが使い捨て税、消費行為税と言われるものです。
 日本でも今年の4月から三重県が全国に先駆けて産業廃棄物に対する埋め立て税を実施していますが、税収を環境政策に使う目的税にしてしまったためちょっと困った問題が起きています。実施したとたん、廃棄物の量が半減して税収が思ったほど上がらないのです。ですから、環境税は目的財源にしないで、あくまで環境に良い行為を誘導するための補完的な税と考えるべきだと思います。
 それと、もうひとつ環境税で気をつけなければいけないのは、税の観点から見て逆進的な性格を有していることです。炭素税なども、実は所得の低い階層のほうが多く炭素を使用する傾向があるので累進的になりません。環境税の実施に際してはこうした点もきちっと議論しておく必要があります。なお、廃棄物税については三重県ほか、まもなく福岡県、北九州市などでも実施の予定です。
 

●ヨーロッパ型への転換が日本再生の決め手

 
 三重県の廃棄物税などに関わった経験から言うと、日本の場合、埋め立てられる廃棄物の3分の1以上が建設廃材です。日本は建物を壊しすぎます。これを抑えれば廃棄物の量はかなり抑えられるはずです。そのためには廃材のリサイクルだけでなく、建築物のライフサイクル・マネージメントの研究、つまり建物の寿命をできるだけ延ばして、ヨーロッパのように内部をハイテク化することが望まれます。実は今その研究会の座長をやっているのですが、残念なことに日本にはそうしたことを研究している技術者はほとんどいません。インテリア・デザイナーはいても、内部をハイテク化して使い勝手をよくするような設計者が育っていないのです。
 繰り返しますが、時間節約の方向をヨーロッパ型に転換することこそ、日本再生の決め手だと思います。土日は自然と対話してリフレッシュするといったゆとりの時間なしに、社会や環境に関心を持てるはずもありません。この議論から始まらない限り、環境運動も真から根付かないということを認識すべきです。
 

 

■プロフィール 神野 直彦(じんの なおひこ)
経済学博士 昭和21年埼玉県生まれ。同44年東京大学経済学部経済学科卒。大阪市立大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授などを経て、平成4年東京大学経済学部教授、同8年から東京大学大学院経済学研究科教授。財政学・地方財政論を主な研究フィールドに、国際比較の分野を重視し、スウェーデンを中心とするヨーロッパ、中国を中心とするアジアの財政制度の実態調査に取り組む。地方分権推進委員会専門委員、税政調査会専門委員、運輸政策審議会専門委員。
主な著書に、『日本が直面する財政問題』(編著/八千代出版)『地方に財源を』(編著/東洋経済新報社)『システム改革の政治経済学』(岩波書店)『2025年 日本の構想』(編著/岩波書店)などがある。