●情報公開は企業の自主努力を促す
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環境問題に対する市民意識の高まりから、企業にとってリスクコミュニケーションは避けられない課題となってきました。今日は、このリスクコミュニケーションの必要性と、その前提となる環境情報の公開の問題についてお話ししてみたいと思います。
日本ではこれまで企業が環境情報を公開するということは殆どありませんでしたが、アメリカでは1966年の『情報自由法(Freedom of Information Act)』の制定と消費者運動の高まり、さらには86年の『緊急対処計画及び地域住民の知る権利法』(以下、『地域住民の知る権利法』)の制定といった流れを受けて、企業側も環境情報公開への対応を無視できない状況になってきました。
『地域住民の知る権利法』は、化学物質を扱う企業や工場がどんな物質を排出しているのかを知りたいという周辺住民の世論を背景に制定されたもので、企業から報告された有害化学物質の大気、水、土壌への排出量を、米国環境保護庁(EPA)がデータベース化して情報公開する制度です。
注目すべきは、この制度ができた結果、アメリカにおける有害化学物質の排出量が、1989年の29億6,000万ポンドから95年には16億1,000万ポンドへと大幅に減少したことです。つまり『地域住民の知る権利法』が、ネガティブな環境情報の公開を恐れる企業に自主削減の努力を促すという効果をもたらしたわけです。 |
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●リスクコミュニケーションはなぜ必要か
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一方、こうしたアメリカの動きを受けて、OECDでは1994年から加盟国にPRTR(環境汚染物質排出・移動登録)制度を導入しようという動きが出てきました。日本でも昨年、神奈川県と愛知県で環境庁によるパイロットプロジェクトが実施されたのはご承知のとおりです。
PRTR制度が導入されますと(公開のあり方は現在議論されていますが)、企業がどのような物質をどれくらい、どこに排出しているかという情報が住民に公開される可能性があります。ここで注意しなければならないのは、公開された排出量が法律や条例で規定された基準値の範囲内であっても、有害物質が一定量周辺環境に排出されているという事実が住民に大きなショックを与えることです。
つまり、企業がいかに「我々の排出量は法定基準の範囲内である」、あるいは科学的知見に基づいて「当該物質のリスクはその他のリスクと比較してもそれ程大きくない」と主張しても、住民の不安がマスコミ報道等で既に当該リスクの大きさを跳ね上がらせてしまっているような場合には、住民の不安を完全に解消することはできないのです。
それどころか、こうした認識のすれ違いは、結果として企業と住民が共存できにくい状況を生み出すことにもなりかねません。
こうした状況において、住民と企業が「リスク」に関する「コミュニケーション」を適切に図る「リスクコミュニケーション」という概念が必要となってくるのです。 |
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●情報が一人歩きするダイオキシン問題
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リスクコミュニケーションとは、住民に適切なリスク情報を提供して理解を得ながら相互の信頼関係を作っていくための手法です。
化学物質を使っている以上、リスクが伴うのは止むを得ないことで企業が先手を打ってリスクコミュニケーションを実践していかないと一方的な情報やマスコミ報道が一人歩きして、リスクに対する住民の認識を科学的な知見から外らし、企業への不信感をつのらせてしまいます。この関係はいったん崩れてしまうと修復は大変困難です。
現在のダイオキシン問題は、その非常に顕著な例だと言えます。
ダイオキシンは毒性の強い有害物質ですが、問題を解決するためには、日常生活での危険性はどれくらいで、許容できる範囲のリスクはどれくらいなのか、あるいは地域の状況でどう違いがあるのか、といったことを含めて冷静に考えていかなければなりません。ところが、リスクコミュニケーションのないまま一部の情報だけがマスコミで報道されると、焼却場の近くに住んでいるだけで母乳が汚染されてしまうとか、奇形児が生まれてしまうといった極端なイメージだけが増幅されることになります。 |
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●目的は「許容リスクの範囲を探ること」
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ヨーロッパでは、環境情報を公開してから市民からの問い合わせが極端に減ったという会社の事例も報告されています。「隠そうとする情報を知りたがる」という人間心理の常道から考えても恐れずに堂々と、リスクに関する情報も含めた環境情報を公開しリスクコミュニケーションを実践していくことは、企業にとって大きなプラスになるはずです。
もっとも、リスクコミュニケーションを実践していく、といっても、ただ実践していくのではなく、いくつか気をつけなければいけないこともあります。そのひとつが目的の明確化、つまり「何を目指すのか」ということを明確にすることです。
もちろん、それは「リスクをゼロにする」ということではありません。リスクコミュニケーションが目指すところは、企業がリスクに関して率直に発言し、住民側がリアクションしていくというやり取りの上で、信頼関係を築きつつ、「双方が許容できるリスクの範囲を探り出す」ことにあるのだと思います。
その際、自分の会社のリスクが外から見てどう見えているのかを客観的に認識できるバランス感覚を持つことも重要です。また住民側とコミュニケーションできる共通の言葉を持ち、意志の疎通を図ろうとする態度、要するに一貫して誠意ある姿勢で対応することが望まれます。 |
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●リスクコミュニケーションの方法
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次は方法論の問題ですが、企業がリスクコミュニケーションのシステムを構築する上で第1のポイントとなるのは、環境に与えるリスクが自らの企業経営にどう影響してくるのか、さらには情報公開しなければどういう障害を招くのかということを、不買運動から暴動といった最悪のケースまでを想定しながら評価することです。
第2のポイントは、誰を対象にリスクコミュニケーションを図っていくのか、工場の周辺住民なのか、あるいは全国レベルなのかを明らかにすることです。
例えば、農村地域の住民であれば田んぼや農業用水などの汚染こそが切実な環境リスクなのであって、焼却場の周辺住民とは自ずと問題意識が違ってきます。全国的に全く同じリスクということは基本的にあり得ないと思います。
地域によってリスクとする問題の度合い、リスクに対する住民に認識の度合いが異なるわけですから、ここを見誤って、企業側が全国一律的な大雑把な対応をすれば、住民の怒りを買って「誠意がない」という烙印を押されかねませんので慎重にしなければなりません。
第3のポイントは、経営陣自らがリスクコミュニケーションを経営上の重要な問題とかかわる業務であると認識することです。社内的にも、重要な使命を帯びた問題であるという意識を上から下まで浸透させ、組織の中に組み込ませていく必要があると思います。
このほか、企業が環境問題に直面した際に、マスコミや地域に対するリスクコミュニケーターとなり得る有識者や専門部署を育成していくことも重要だと思います。 |
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●塩ビ業界は先駆的ノウハウ確立の好機
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日本では、これまで情報公開とともにリスクコミュニケーションを実践するという経験がなく、そうした状況に直面することも少なかったため、ダイオキシン問題のように対応に苦慮するケースも出てきています。環境ホルモンの問題なども、リスクを定量的に把握することが難しいという事情もあって、どういう対応が正しいのか専門家にもなかなか答えが掴み切れません。この中で、どのように住民とコミュニケーションを図っていくのかは難しい問題です。ひとつの打開策として、業界に協調的な意見を聞くばかりでなく、急進的な反対運動の関係者と積極的に会談して、とことん対話を行い相手が何を求めているのか、どこを不安に思っているのかを理解するという方法もあります。
例えば、消費者や環境保護団体のトップもしくはキーパーソンに堂々と業界の意見を伝え、理解してもらうように努力することは相手の誤解の根がどこにあるのかを突き止める上でも、また、業界と急進的な反対勢力との中間領域を占める一般市民の感覚が読めてくるという意味でも、地道ながら効果はあると思います。また、前述しました「リスクコミュニケーション」システムの構築というのも重要な対策です。塩ビ業界も、いろいろな努力をされていると思いますが、ダイオキシン問題などの矢面に立って苦しい取り組みを続けている今のような時こそ、リスクコミュニケーションのシステム構築という問題を真剣に検討すべきです。
もっとも、今のような厳しい状況は、塩ビ業界にとって経験的にリスクコミュニケーション手法を学び取る絶好のチャンスと言えるかもしれません。『災い転じて福となす』という言葉もあるように、苦しい経験の中から、先駆的なノウハウが確立される可能性は十分にあると思います。この試練を成功につなげるためには、業界が全身で「痛みは痛みとして受け取る」という自覚を持つことが必要でしょう。従来の化学業界の立論の仕方では通じないということを肝に銘じ、また、こうしたコミュニケーションの問題に関して経験不足であることを認識して、消費者と新たな姿勢で向かい合うことが必要なのではないでしょうか。
リスクコミュニケーションの先進事例たり得るという意味で、今後の塩ビ業界の取り組みに期待したいと思います。 |
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■プロフィール 織 朱實(おり あけみ)
1986年、早稲田大学法学部卒。コンサルティング会社勤務。現在、主任研究員として、環境法に係わるリスクとその対策についての研究・コンサルティング、諸外国の環境制度、政策動向の研究、環境リスク評価などの分野で活躍する一方、日本化学工業協会PRTR示度検討委員会、日本化学会リスクコミュニケーションマニュアル検討委員会、通産省産業構造審議会廃棄ブル処理・再資源化部会容器包装リサイクル小委員会などの委員を多数兼任。リスクコミュニケーションに関する若手の論客として、その発言に注目が集まっている。主な著書に『環境リスクと環境法(米国編)』『同(欧州編)』(共著)、『よく分かる廃掃法・リサイクル法・容器包装リサイクル法』、『PRTRとは何か』(共同講演録)など。 |