1994年3月 No.8
 
生活者の視点から「リサイクル」を考える

  

 

 ライフ・カルチャー・センター代表 澤登 信子

●コスト意識の欠如した環境保護運動

 
  情報社会と言われて久しいですが、私はこのところ情報が分断され、意味の伝達がなされていない感を深めています。
  私は、ライフワークとして、生活者、企業、行政の3者が協力して1つの事業に取り組むための“環境づくり”のお手伝いをしてきました。そこで多くの女性たちと知りあいました。彼女たちは、いずれも地域に密着した生活を送り、子供を産み育てているため、環境問題に対して強い関心をもち、行動を起こしています。
  しかし、その多くは回収費用や回収ルートの確保が困難なために、頓挫しているケースが多いようです。
  総じて女性たちの場合、コスト意識が欠如しており、加えて、専門知識にも乏しいため、気持ちだけ先走って「環境保全とは回収することにある」と回収行為が目的に陥ってしまっているのです。?
 

●企業の情報の出し惜しみが市民運動をゆがめる

 
  その大きな原因として、企業の情報の出し惜しみがあります。企業は、市民に伝えるべき情報を正確に伝えているでしょうか。どうもそう思えない節があります。そのため、企業と市民との間の、情報の疎外度が大きくなって、市民運動が誤った方向に走りだすともいえるのです。
  もちろん、ゴミ問題の啓蒙には行政の怠慢という要因もあります。しかし、モノを造り売るという企業の行為は、製品の使用中も使用後も、常に環境への影響に責任を持たねばならないという意味で、的確な情報伝達をする責任があります。
  こうした状況を改善するために、企業はマスコミを上手に利用して、リサイクル型社会へのあり方を提示していかなければなりません。「ゴミが資源になること」、そのために企業がどのように努力しているかを、できるだけ分かりやすく社会にアピールすることが、最も近道ではないでしょうか。
  日本では、文化的な背景もあって、静脈産業(回収・リサイクルなどの再資源化活動)が一段低く見られがちです。しかし、生産するだけで、その後始末に目をつむるのでは、結果としての環境破壊を招くだけです。企業は、自分たちが生み出した材料を有効に最後まで活用できるよう、知恵と技術とシステムを広く社会に伝えていくべきです。
  その知恵は、いまある市民運動のパワーを別の方向へ動かさずにはおかないでしょう。
 

●たったひとりからの生活革命

 
   企業人はともすれば業界特有の用語を用います。この言葉を改める必要があり、また生活者が語っていることに耳を傾けなければなりません。分かってもらえないとグチをいう前に、なぜ分かってもらえないのかをよく考えるべきです。たとえ、難解な内容でもできるだけやさしいことばで説明できるよう努力すべきです。
  私は、日ごろ仕事を通じて「たったひとりから始まる生活革命」を唱えています。現状からみて、女性の方が男性よりも自由度が大きく、多様な暮らしの現場での着想や行動を起こしやすい。したがって、環境保全の認識を徹底させるのも、現状を変えていくためにも、大きなパワーとなり得るのが女性だと思っています。
  女性は常に生活から発想します。たとえば、キッチンのシンクのところに生活排水浄化装置を取りつけたらどうでしょう。始めから「地球にやさしい洗剤の開発」だけでなく、個々の家庭からなるべく汚染源の排出を少なくする、それが結果として河川の汚染を防止し、海洋汚染の防止にもつながる――それが生活者の発想です。「できるところからやる」これが環境保全への第一歩です。
 

●リサイクル――何が問題の本質なのか

 
  これをサポートしていくのが、行政の本来の役割だと思うのですが、うまく機能していません。
  東京都はこの1月から半透明のゴミ袋での回収を開始しました。この問題にしても、半透明の袋でゴミを出すというところだけが争点となり、なぜ半透明にしなければいけなかったか、ということに注意を喚起するマスコミは少ない。何が問題の本質なのか、マスコミも行政も市民も互いに解決に向けての話しあいがなされていないようです。
  これは、リサイクルの考え方が、キチンと整理されていない、社会的なコンセンサスが得られていないからではないでしょうか。リサイクル型社会を構築していかなければ、私たちの暮らしはなりたたなくなります。このことが市民に正しく伝えられていれば、ゴミの仕分けボックスが5つ6つあったとしても、市民は納得して行動に移すことができるのです。
  もうひとつ、東京都の八潮団地の例を紹介しましょう。この団地では、出されたゴミを利用して電力発電を行っています。この電力が団地内に供給されています。ここを見学したある女性が「自分たちのゴミでできた電力をなぜ安く利用できないのか」と質問していましまた。この素朴な疑問こそ市民をリサイクル型社会へ導く第一歩です。電力が安くなれば、当然、ゴミに対する意識が変わり、ゴミは資源の一部という考えが浸透します。「リサイクル」というものの考え方を生活者に知ってもらうには、この関係が明らかに分かる形で提示していくことが先決なのです。
  供給側の論理だけで、環境問題を語っていないでしょうか。供給側が自分たちに都合のいいリサイクル論、環境問題を語っているのが多いのです。生活者の声にもっと耳を傾けるべきでしょう。
 

●土と水の大いなる実験

 
  私は、新しい農業のあり方を模索している人々にいま注目しています。彼らの試みは、土自身が自力で肥沃な土に生まれ変わることができる。治癒力を持った「土」を創りだしていくことです。本来、土壌のなかには無数の微生物が生きており、活き活きとした作物が育つ力をもっていました。しかし、効率優先の農業方法が考案され化学肥料や農薬が多量に投下され、すっかり土壌は力を失ってしまったのです。私が出会った茨城の農家の人たちはできるだけ自然界のシステムに沿った農業の仕方を工夫しはじめました。土と水の再生に力点を置いています。ここでの作物は、昨年の冷夏でも影響を受けることなく、収穫量は例年並でした。
  「良い水で家畜を育て、その液肥で耕作する」というコンセプトで行われている自然型農業は、研究熱心な農家の人々だけで行われているものでは決してありません。農業をサポートしようとする、企業の技術者たちのフィールドワークとの二人三脚から成り立っているのです。
  いままでは、東京中心、大企業中心、実験室中心の研究が多く、広い自然界とともにする研究はなおざりにされてきた面もありました。しかし、茨城県の一農村で始まったこの研究は、農業における生態系にあった真の自然界のリサイクルのあり方を、現代の農業に問いかけています。水のもつすばらしい力で土を蘇らせる試みは着実に成果をあげつつあります。
  環境対策などは、よりよいリサイクル社会実現のための入り口でしかないのです。社会の中に生活の中に、環境保全のヒントはたくさん転がっています。このヒントを見つけだすには、自立している生活者の生の声に触れていくしかありません。このことが企業の新事業開発へとつながっていくチャンスも十分にあると考えます。
  貴協力がリサイクル社会の構築にむけて踏み出した大きな一歩を、さらに確かなものにするため、一層の努力と工夫を期待しています。
 

 

■澤登 信子(さわのぼり・のぶこ)
  1965年立教大学経済学部卒業。76年ライフ・カルチャー・センター設立、87年代表に就任。経団連の経済広報センターの仕事に深く携わり、環境問題にも独自な視点から発言している。
 著書に「普通の女たちの昭和維新」(ダイヤモンド社)、「融合革新」(プレジデント社)など。