2013年3月 No.84
 

活動の拠点「小路庵」(@)と主力メンバーの方々(A)。「行事食を楽しむ会」、2月の献立は食材と器にこだわった「雛ご膳」(B)。

●女が頑張らんといかん

 「懇話会」の活動に取り組んで10年、活気に満ちた魅力的な有田を再生したいと思って、試行錯誤の毎日でした。
 有田は400年もの間、焼き物で生きてきた町です。その歴史のある町が、年毎に活気のない町並みになっていくのが、当時眼に見えて分かってきたんです。5月の「陶器市」は何万人もの人で賑わっても、終わってしまえば元の寂しい町に戻ってしまうんです。
 この町は伝統があるだけに、基本的に男の世界で、女性が表に出てモノを言うのはご法度といった気風も強いんですけど、やっぱりこのままではいかん、女が頑張らないかんとやないかなあ、という気持ちを私と同世代の女性の多くが持っていたんですね。

有田町づくり女性懇話会
 町の中心部・内山地区の「賑わいあるまちづくり」を目指す有志の女性たちにより、2003年に発足。
 有田町に「年間を通してイベントを創り出す」ことなどを目的に、これまでに、「秋の陶磁器まつり」「春の雛のやきものまつり」の2大イベントを実現したほか、食事処「小路庵」を拠点に「食によるまちおこし」に取り組む。このほか、ボランティアガイドの研修、高校生によるウィンドウディスプレイコンテストなど、商店会、窯元、地域住民、行政との連携で多彩な活動を展開。女性の視点を生かした手作りのまちおこしとして他県からも注目を集める。

ありたまち 佐賀県の西部、西松浦郡に属する。日本における磁器発祥の地。有田焼の産地として知られ、毎年5月の「陶器市」は全国からおおぜいの陶器ファンが訪れる。2006年3月に、西有田町と合併。総人口は20,645人(2012年12月現在)を数えるが、近年は人口の減少、高齢化が進んでいる。

●立ち上がった20人の女たち

有田町づくり女性懇話会の
アクションフレーム
<拡大図>
陶器商が店を連ねる町の中心・内山地区のトンバイ塀商店街。
国の重要伝統的建築物群保存地区に選定されている。

 実はそれ以前、有田には佐賀県でも特別な存在だった婦人会があったんですけど、それを私たちの代で止めてしまったということがあるんです。私たちが訴えた時代の変化に即した改革がなかなか進まないので、それだったらいっそ止めてしまおうとなったんですが、50年以上も続いた伝統ある組織だったので大変な騒ぎになりましたし、私としても先輩の皆さんがしっかり育ててきた組織をなくしてしまったことに申し訳ない思いがあって、何とか新しい活動の母体を作らなければという気持ちでいたわけです。
 それと、その頃、有田では隣の伊万里市、西有田町との合併が検討されていたんですが、私も住民代表の委員として議論に参加する中で「どこと合併するにしろ、自分たちがしっかりしていないと思わぬ方向に呑みこまれていくんじゃないか」という不安を強く感じていました。
 ともかく、そんないろいろな思いが動機になって、有志3人で会を立ち上げたのが平成15年の1月。その後、茶道の先生や陶器屋さんの奥さん、栄養士、商店やスナックの経営者といった方々の参加で段々とメンバーも増えてきて、総勢20名のボランティアで、まずはトンバイ塀通り商店街の活性化をターゲットに活動をスタートすることになりました。

●未だに残る、自然と調和した「ものづくり」の生活

登り窯に用いた耐火レンガや窯道具の廃材、陶片などを赤土で塗り固めたトンバイ塀。

 最初に取り組んだのは、多くの観光客に来てもらうにはどうしたらいいか、もう一度町の実態を女性の眼で見直してみようということでした。調べてみると、お手洗いは足りないし、甘いものを食べたくても店がない、休憩所もないといった状態で、伝統建築の保存地区だというのに、観光のための基本的な整備が全くできていないんです。というのも、この町は観光ということをやったことがない。商人は他県に陶器を売りに出て何ヶ月も帰ってこないという生活を長い間続けてきたので、外の人に来てもらうという発想がもともと希薄なのです。
 ただ、それと同時にうれしい発見もありました。それは「ここの裏通りはなんて素晴らしいんだろう」ということでした。トンバイ塀通り商店街というのは、表通りに陶器商、その北側にある幅5mほどの裏通りに窯元が集っていて、私たちはいつも表ばかり見ていたので、裏通りのよさに気づかないでいたんですね。
 川沿いにトンバイ塀の窯元が並ぶ水の豊かな谷あいの町。ここには自然と調和しながら400年もの間ものづくりをしてきた生活が残っている。そういう普通の観光地にはない財産に改めて気がついて、その中から具体的な活動計画が見えてきたわけです。

●10年間の成果。日本初、有田焼雛人形の開発も

有田焼七段飾りの雛人形

 それから10年。この間に取り組んできたことは、年間を通したイベントの開催(春の雛まつりや11月に行われる「秋の陶磁器まつり」に合わせたイベント、夏の「ほたるみにきん祭」など)、有田の郷土食によるおもてなし(食事処「小路庵」の開設)、さらには観光案内所や観光マップの作成まで、多岐にわたります。初めに計画を立てたときは「そんなことをしても変わらんよ」という声も聞こえてきましたし、町の担当者から「ひとつに絞ったら?」と忠告されたりもしましたが、幸い県の補助金が出たこともあって、これはもう何んとしても引き下がれん、計画したことは全部やってやろうと思って、地域住民の有志や市民団体、商店、行政など皆に協力してもらいながら、無理を承知で実行に移してきました。
 2004年に初めて「秋の陶器まつり」に関わったときは、この町で申年だけに行なわれる山王(さんのん)さん祭りに使う猿の人形を、家々に頼んで町中の軒先に飾ってもらったんです。フタを開けてみたら、それを目当てに朝から客が続々やって来るのが見えて、うれしくて、うれしくてね。
2月の「行事食を楽しむ会」で、有田町の食材を使ったメニューの説明をする西山さん
 雛祭りのイベントでも、「普通のお祭りじゃ客は来んよ」というメンバーの意見で、7段飾り全部を有田焼で作ろうということになったんですけど、何しろ初めてのことなので、窯元さんもなかなか引き受け手がない。結局、県の窯業技術センターにも協力してもらって、平成17年の雛祭りに何とか間に合わせることができました。現在この取り組みは有田町観光協会の主催で「有田雛のやきものまつり」として大々的に開催されるようになっています(今年は2月9日〜3月20日まで)。
 食事処「小路庵」のほうは、初めトンバイ塀商店街の空き家を利用していたんですが、その後、日本窯業界の重鎮だった江副孫右衛門さんの旧宅を役所が都合してくれて、本格的な活動ができるようになりました。当初は秋と春だけ開いてたんですが、ここには代々女性たちが伝えてきた伝統的な行事食がいろいろ残っていますのでね。その知恵を借りながら、毎月「行事食を楽しむ会」を開催しています。

●日本磁器誕生・有田焼創業400年に向けて

 今後の計画としては、2016年が日本磁器誕生・有田焼創業400年に当るので、この機会を何とか利用して首都圏や関西など県外に在住する有田出身者とのネットワークづくりをしたいと思って、行政とも連携しながら走り回っているところです。外から見て有田がこれから生き残るのに何が必要なのか、そんなメッセージをもらって、郷土愛を軸にした関係が結べればうれしいんですけど。
 実は私、生まれも育ちも福岡県の飯塚なんです。石炭産業全盛時の筑豊があっという間に斜陽化していった悲惨な状況を見ていて、ふるさとがなくなるのがどんなに悲しいものかを痛感しているので、結婚して有田に来たときは、ここだったら子供たちにそんな思いばさせんでもよかろうと思ってたんです。でもちょっと待てよ、このままいったら伝統産業の町も危なくなるとね、という不安を感じたことが私の原動力になっているのかもしれません。地元の人からも「あんたは外から来たけん、これだけのことができたんだ」って、よくそう言われます。
 ボランテイア活動というのは、財政面も含めて難しいこともありますけど、とにかく400年紀までは頑張って、後は若い世代に繋いでいきたいですね。「これから先はあんたたちの時代。私たち楽しみにしとるけん」。早くそんなことを言ってみたい気もしています。
【取材日2013.2.13】

略 歴
にしやま・みほこ

 福岡県飯塚市出身。日本航空のキャビンアテンダントを経て、結婚後、有田町に転居。夫君の両親と、農作業や焼き物の生地作りを行い、1986年(株)匠(西山典秀社長)を設立。アルミナを配合した強化磁器の開発(県窯業技術センターとの共同開発)など、新しい有田焼の製作に挑戦する一方、「有田町づくり女性懇話会」の代表として活躍を続けている。