2011年9月 No.78
 

科学ジャーナリズムの「いま」

原発事故と報道、若者の新聞離れへの対応など、
現役記者が語る科学ジャーナリズムの生の姿

朝日新聞社 編集委員 高橋 真理子 氏

 

●底知れない不安の中で

 今度の福島第一原発事故では、底知れない不安を胸の底に押し込めながら取材する日々が続きました。特に事故の発生当初は重大な事態が次から次に起こって、この先どうなっていくのかまるでわかないという重苦しい状況でしたから、ほんとうに胃が痛くなるような思いで紙面を作っていました。
 報道する側の責任ということを考えれば、安全だ安全だとばかりは言っていられないし、危機的状況だけを過度に強調することも避けなければなりません。正確な情報をできるだけわかりやすく伝えるにはどうしたらいいのか、ほんとうに悩みながら試行錯誤の毎日でした。読者からの反響で「あっ、ここのところが足りなかったのか」とわかったら、同じ話であっても繰り返し報道しましたし、放射線の影響についても「これじゃ分かりにくい」という読者の声に応じて改めて記事を出したりもしました。
 この6月に朝日文庫から出した『生かされなかった教訓 巨大地震が原発を襲った』(朝日新聞取材班著)では、事故発生から1カ月余りの動きを序章として詳しくまとめています。この本は基本的には、2007年7月に起こった新潟・柏崎刈羽原発事故の検証ルポ『「震度6強」が原発を襲った』(2007年刊)を文庫版にしたものですが、福島原発の事故があまりに重大な問題なので、事故発生以降の事態の推移から、政府や東電の対応とその問題点、さらには放射能汚染と健康影響の問題などまで、文庫化に際して大幅に加筆しました。
 その「あとがき」の中にも書きましたが、原発の敷地内では事態の収束へ向けて今なお必死の取り組みが続いています。そして、原発から放出された放射性物質はあちこちでさまざまな問題を引き起こしています。戦いはまだまだ長く続くと思いますが、状況を正しく認識し、情報を社会全体で共有することが被害を少しでも抑える第一歩です。この本がそのための一助になることを願って止みません。

●WEBと新聞の違い

 科学報道に限らず、「早く」「正確に」「わかりやすく」「中立公正に」「全体像を示す」ということは新聞報道の基本です。今回の原発事故でも、できるだけ冷静に正しいことを伝えようと思って日々社員は頑張っているわけですけれど、最近はWEBの発信力が非常に大きくなっていて、記者たちがひとつひとつ事実を確認しながら中立公正な情報を新聞でレポートしても、特に若い人たちにはなかなか読んでもらえないという悩ましい状況が広がりつつあります。
 新聞の科学報道というのは、そもそも原子力報道からスタートしていて、日本が原子力発電を始めたころに、新聞もきちんと報道できないと困るというので、新聞各社が科学部を作ったという経緯があります。つまり原子力報道というのは科学部の骨のようなものだったわけです。その後段々と広がって、現在のようにいろいろな基礎研究の話も載るようになってきました。原子力から基礎研究まで幅広いテーマをきちんとカバーするには我々も相当な労力を費やしていて、みんなで情報を取ってきて、その中でどれが報じるに足るものなのか、あるいは報じるべきものなのかを判断しながら日々の紙面を作っているわけです。そういう意味では、科学部ができた五十数年前に比べたら、新聞の科学記事はものすごく充実してきていることは間違いありません。
 それなのに、一方で新聞を読まない若い人がどんどん増えていて、私たちの記事が彼らになかなか届かないというのは、ほんとに悩ましいことです。先日も若い人たちと原発の話をしていたら、みんな「不安だ、不安だ」と言うので、「新聞はわかっていることをきちんと伝えてますよ」って答えたら、あっさりと「私たち新聞は読みませんから」って言われてしまいました。
 WEBの中では、原発の問題に関して政府や東電の言うことは信じられないという意見が力を持ってきているようですが、我々は是々非々というか、この発言は間違っているとか、東電はなかなかほんとうのことを言わないといった指摘をすることはあっても、その発言がすべて信じられないといったスタンスを取ったことはありません。何といっても彼らがいちばん情報を持っているのは間違いないし、その出し方にまずいところがあるとしても、すべてが嘘だなんてことはあり得ないことです。政府だって東電だって国民をどうでもいいなんて思っているはずはないんですから、そこは冷静に伝えていかなければならないと思います。
 そういうことは、読んでくださっている人からは理解されていて、「こういうときはやっぱり新聞報道が頼りになることがわかりました」って声をいただいたときには私たちも報われた気持ちになりました。ただ、読まない人にはまったく届かないわけですから、空しさが募るというか、それが目下の最大の悩みの種です。

●親子で楽しむ科学記事

 まずは新聞を読むという習慣を子どもの頃から身に付けてもらいたいですね。今年度から始まった新学習指導要領では、小中学生の言語力を育むために授業で新聞を活用するということが盛り込まれていて、いま各地の学校で新聞を使った教育が順次始まっています。私としても、そうした授業の中で「新聞にはこういうことが書いてあるんだ」といった理解が進んで、日ごろから新聞に目を通すような子どもが育ってくれればと期待しています。
 もちろん、新聞社自らの努力も必要ですし、実際そういう取り組みも進めています。朝日の科学記事に関して言えば、毎週月曜日と木曜日の2回、朝刊に科学面が載るんですけど、月曜の頁では大きなイラストを使って、できるだけ親子で科学を楽しめるような紙面作りを心がけています。
 朝刊の科学面が週2回になったのは私が科学エディターになって間もない2007年春からのことで、このとき「せっかく2回になるんだから、それぞれ紙面の性格を変えよう」と部内で議論して、1回は大型イラストを使ってわかりやすく科学を楽しむ頁にする、もう1回はいま起きている科学の問題に社会的な視点から切り込んでいく、ということにしたわけです。イラストもうちのデザイン部門がいろいろ工夫して面白いものを作ってくれるので、これはまさに組織のコラボレーションで作り上げている頁といえますね。いまではうちの売りのひとつになっています。

●世界の科学ジャーナリストとの連帯

WCSJドーハ会議で講演する高橋氏

 科学記事の重要性を知ってもらおうという努力は国際的な枠組みの中でも続けられています。国の発展段階にもよりますが、科学記事というのは政治や社会面の記事に比べて大体どこの国でも邪険に扱われることが多いんです。これはある程度止むを得ないことかもしれませんが、そうした状況を打破するには、科学記者同士の連帯が必要だということで、ユネスコが音頭を取って1992年に東京で科学ジャーナリスト世界会議(WCSJ)を開きました。第2回は1999年に科学者や政府関係者らが集まる世界科学会議がブダペストで開かれたのに合わせて、その関連行事として開催されました。その後は3年から2年おきに開かれるようになり、回を追うごとに規模も大きくなってきています。今は世界中の科学ジャーナリストが集って、互いの経験を共有したり連携のあり方について話し合いをしたりする、貴重な場といえるでしょう。今年も6月26日から29日まで、カタールのドーハで第7回の会議が開かれることになっています。
 科学ジャーナリスト世界会議の活動は、その後の世界科学ジャーナリスト連盟の設立につながりましたし、国内的には日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が生まれる契機にもなっています。世界連盟のほうは、各国あるいは欧州とかアフリカといった地域ごとの科学ジャーナリスト協会のアンブレラ組織として、第3回のブラジル会議(2002年11月)で憲章が採択され、第4回のモントリオール会議(2005年10月)で第一回総会が開かれました。これまでにアフリカとアラブの科学ジャーナリストを育成するプロジェクトなどに取り組んで成果を上げています。私も憲章起草委員としてルールづくりに関わったほか、初めの2期4年間は理事も務めました。
 一方、日本科学技術ジャーナリスト会議の設立は、第1回の東京会議の後の1994年7月ですから、もう17年になります。東京会議を開いたときには日本には科学ジャーナリストの団体はなかったんですが、多くの国が科学ジャーナリストの自主的な組織を作って科学ジャーナリズムの質の向上や科学ジャーナリストの地位向上に努力していることがわかり、やっぱり日本でもそういう組織が必要だということで発足したわけです。主な活動としては、シンポジウム、見学会などを開催しているほか、2002年9月からは、若手養成のための科学ジャーナリスト塾を開講しています。
 この塾は現在は1年間のコースになっていて、毎月2回、土曜日に講義や実習をします。ジャーナリスト志望者だけでなく、ノーベル化学賞を受賞された白川英樹先生のような科学者も受講しています。また2005年には優れた活動を行ったジャーナリストや科学者、コミュニケーターなどを顕彰する科学ジャーナリスト賞を創設しました。今年で6回目を迎えますが、塾と共に社会的な認知も高まってきているので、科学ジャーナリズムの側から社会に働きかけていく力にはなっていると思います。

●真の科学マインドを持つこと

 今回の原発事故で改めて思ったのは、日本にとって近代科学というのはやっぱり輸入品なんだということですね。自分で生み出したのではなく、西洋から学び取って身に付けてきたものなので、そこの弱さがどうしても拭いきれない。しかも、日本人は素直ですから、先生がこれと言ったらそれでいいと思ってしまうんです。でも、それは科学マインドとは相反することなんですね。先生の言葉でも頭から信用せず、自分で考えて判断していくのが科学マインドだと思うんですけれど、それがまだ身についていないところがあって、その弱点が今回の原発の対応でも出てしまったと思います。
 例えば福島第一原発の1号機は、アメリカに言われるまま導入したわけです。日本は地震国で津波も多いということから考えていったらもっと違う対応になったはずなのに、自分の頭で考えないからこんなことになってしまったと感じます。これは技術力とは別の問題で、日本人の科学技術能力が低いとは思いませんが、自分の頭で考えて、自分の責任で物事に対処する人はとても少ない。それは、真の科学マインドを持った人が少ないということですよね。今後の事故対応に最善を尽くしていけば、否応なしに真の科学マインドを会得する人が増えるのではないか。敢えてそんな期待を持ちながら、今後の動きを厳しく見守っていきたいと思っています。
【取材日/2011年6月20日】

略 歴
たかはし まりこ

 1979年東京大学理学部物理学科卒。同年、朝日新聞社入社。岐阜支局、東京本社科学部、出版局『科学朝日』編集部、大阪本社科学部次長などを経て、97年4月から論説委員(科学技術、医療担当)、2004年9月から東京本社科学医療部次長、06年12月から09年6月まで科学グループを統括する科学エディター。その後、編集局記者、経営企画室主査を経て2011年4月から編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。
 主な著書に『どうする移植医療』(共著、朝日新聞社)、『スキャンダルの科学史』(編著、朝日選書)、『都市崩壊の科学−追跡・阪神大震災』(編著、朝日文庫)、『ノーベル賞を獲った男』(共訳、朝日新聞社)、『最新 子宮頸がん予防 ワクチンと検診の正しい受け方』(朝日新聞出版)などがある。