2004年3月 No.49
 
提言/21世紀の科学者、メディア、国民へ

  科学技術は両刃の剣。科学者は社会に対して直接語りかける努力を

 

 ノーベル化学賞受賞
 筑波大学名誉教授 
白川 英樹

●少年の夢を育てた塩ビ風呂敷

 
  ノーベル賞を受賞した後に、いろいろなところで書いたり話したりしたことですが、中学校の卒業文集に「将来はプラスチックの改良をやりたい」という意味のことを書いたことが、何分の1かの私の出発点になっています(下記記事参照)。
 なぜそんなことを書いたかというと、それは母が弁当を包む風呂敷がわりに持たせてくれた塩ビのシートがきっかけでした。私が中学校を卒業した昭和27年当時というのは、塩ビとかナイロンといったプラスチックが次々に世の中に出てきて家庭にまで入ってくるようになったころで、塩ビのシートも相当広く普及していました。
 たぶん母は、弁当を風呂敷に包むと汁がこぼれて教科書や風呂敷そのものが汚れるのを嫌って塩ビのシートを使ったのだと思いますが、それはたいへん使い勝手がよかった反面、弁当の熱で伸びてしまって、お昼を食べるころには冷えてカチカチに硬くなってしまうという欠点も持っていました。この「便利だけれども不便だ」ということがとても印象に残って、そういう欠点がなくなればもっと使い勝手がよくなるのにという思いが将来の夢につながったわけです。
 ただ、それはたまたま卒業文集にそんなことを書いたというだけで、当時の私にはそれ以外にももっといろいろやりたいことがありました。ラジオを組み立てたり短波放送を受信したりしていたのでエレクトロニクスにも興味があったし、昆虫採集が好きで野山を歩き回っていましたから植物にも興味がありました。大学受験のときにもいろいろ進路を考えましたが、いざ東工大に入って高分子化学の勉強をしてみるとだんだん面白くなってきて、結局合成の研究にのめりこんでいったというわけです。
 そのころには、もう文集に書いたことなどまったく忘れていました。文集そのものも転居を繰り返しているうちに無くしてしまいましたが、大学の退官間近になって突然、「そういえば、まさにあの時書いたとおりの道を歩んできたな」と思い出しました。ぜひもう一度読んでみたいと思っても手元にはないし、高山を出てから中学校の同級生とも疎遠になっていて、いまさら尋ねるのもためらわれるし、半ば諦めかけていたところへノーベル賞の発表があって、新聞社が探し出してくれたりして、ようやく読むことができました。

 

『将来の希望」

〈高山二中(岐阜県高山市/現松倉中)の卒業文集「みちしるべ」から〉。

 高校を卒業できたら、できることなら大学へ入って、化学や物理の研究をしたい。それは現在できているプラスチックを研究して、今までのプラスチックの欠点を取りのぞいたり、いろいろ新しいプラスチックを作りだしたい。
 現在ナイロンのくつ下や、ビニールのふろしき等ができているが、あつい弁当をつつむと、のびたままもとにもどらない。非常に熱に弱い、これも一つの欠点である。これらの欠点をのぞき、安価に作れるようになったら、社会の人々にどんなに喜ばれることだろう。日常品のあらゆる方面に利用されるだろう。ぼくは以上のことを将来の希望としたい。

 

 

●科学と科学技術を混同しないこと

 
  そんな具合で、いろいろな選択肢があった中のひとつがたまたま高分子化学だったということなんですが、ともかくも科学一筋に携わってきた者として今身にしみて感じるのは、世の中の多くの人が科学と科学技術をごちゃまぜにして考えているけれども、このふたつはきちんと区別して論じなければならないということです。
 科学というのは、それ自身人間の社会に特別悪をもたらすものではないし、また社会を幸せにしたり豊かにするという点でも何の役にも立ちません。宇宙の成り立ちとか地球環境といった自然そのものを知るのが科学であって、それで直接経済が潤ったりするものではない。ただ、人間というのは例え役に立たないことでもいろいろなことを知りたい動物なのです。そういう意味では、科学も芸術活動などと同じような知的好奇心を満足させる学問のひとつに他なりません。そして、好奇心を満足させるという意味での科学の発展には終わりはないと思います。
 一方、技術は科学で得た知識の応用です。その中のあるものは生活を豊かにし、社会を潤わせもしますが、応用を誤れば、危険をもたらす場合もある。例えば、アインシュタインは物質とエネルギーが等価であることを発見して、「原子核の分裂には質量の増減が伴い、その分がエネルギーになる」ということを言い出しましたが、その理論が実験的に実証されたとたん、核兵器への利用が始まってしまいました。物質とエネルギーは等価であるという発見は、科学的な知的好奇心を満足させることだし、それを実験で確かめようというのも科学です。しかし、それが技術として応用されると、原子力発電などに平和利用される一方で、核兵器に応用されてしまう。大切なのは、その時にどう使われるかで科学技術は良くも悪くもなるということだろうと思います。
 ですから、「これ以上科学が進歩したらどうなるか恐ろしいから科学の発展はもう止めてくれ」という言い方がされますが、それは科学でなく技術の問題なんだということです。これだけは間違えないでほしい。科学は直接役に立たないけれど、芸術活動と同じで、広い意味でのサイエンスに興味を失うのは人間の退化につながることです。
 

●科学者に課せられた説明責任

 
  技術が進みすぎているからブレーキをかけるべきか否かという問題は、研究者も技術者も市民も、みんなが一緒になって考えるべきことであって、殊に研究者の説明責任は大きいと言えます。
 科学およびそれに伴う科学技術の発展は、これからも止めどころなく進んでいくでしょう。国は第二期科学技術基本計画の中で、ライフサイエンス、IT、環境、ナノテクノロジー・材料という四つの重点分野を定めて膨大な資金を注ぎ込んでいますし、研究者もそれぞれの分野で自分自身の新しいテーマを探り出そうとしています。
 そういう時に、その技術が社会に及ぼす影響を予測し、社会に対してプラスマイナスを含め「こういうこともあるのだ」という説明責任を果たしていくのは、大学や国公立・企業の研究所に携わる教員、科学者、技術者に課せられた責務だということをもっともっと明確に自覚しなければならないと思います。
 私自身も、長い間基礎的な科学を研究してきて、研究成果は学会に発表すればいいと思っていた面が多分にありますが、これからはそれではだめです。科学者自身が社会に対しても発言していかなければなりません。
 近年の塩ビ批判の問題でも、そういうことが言えると思います。実は去年、高分子学会の50周年を記念して、東工大学長の相澤益男さんや九大総長の梶山千里さんと対談したとき、対談後たまたま塩ビの問題に話が及びました。そのとき私が申し上げたのは、「塩ビが悪者にされているということに対して、何で高分子学会が何も発言しなかったのか」ということです。
 確かに多少は使い方を誤った面はあったかもしれないにしても、塩ビというのはこれだけ社会の役に立っているのだから、こういうふうに使うべきだといった提言とか発言があってしかるべきはずだったろうに、どこからもそういう声は聞かれませんでした。
 中学3年のときに、私の出発点の一部になった塩ビが、それから40年、50年過ぎてみるといつのまにか悪者になってしまっている。時代の変化と言えばそれまでですが、塩素を含むポリマーが何でもかんでも悪者にされてしまうということに関しては、やはり研究者はきちんとした説明をする責任がありますし、業界団体ももう少し声を大きくして訴えるべきではなかったかと思います。
 

●科学ジャーナリズムへの不満と期待

 
  科学技術と社会のコミュニケーションという点ではメディアの役割も重要ですが、残念ながらメディアの現状はかなり弱体と言わざるをえません。科学あるいは科学技術の発展は淀みなく続いているのに、その報道量はきわめて限られていて、科学や技術をきちんと論評できるジャーナリストも数えるほどしかいないのが現状です。ノーベル賞の報道にしても、私のとき、そして翌年の野依良治先生、一昨年の小柴昌俊先生と田中耕一さんのときも、メディアの取り上げ方はダンスとか晩餐会などの話題ばかりに偏っていて、肝心のサイエンスやテクノロジーの話は二の次になってしまいました。
 私は取材されるたびに、「大切な科学技術の成果が時々刻々あるのだから、政治や経済、社会と同じとは言わないまでも、もっとその成果を報道してほしい。同時に、その技術が社会に及ぼす影響をきちっと論評できる人をジャーナリズムの中に養成してほしい」ということを記者の皆さんに訴えています。例えば、大手の新聞には毎月必ず文芸や映画の評論が掲載されますが、科学についてはほとんどそういうものがありません。「ちょっと難しすぎて一般の読者になじまない」という記者もいますが、文芸評論だって結構高度な内容で万人が読むとは思えないのに、難しいなりに読者がいるのですから、科学評論だって掲載されればそれなりの効果があると私は思います。
 社会に対する科学技術に関する学習の振興とか、社会とのチャネルの構築といったテーマは、第二期科学技術基本計画の中にも盛り込まれているのですが、総合科学技術会議の議員を2年間務めた感じでは、科学と社会のチャネルはまだまだ狭く、そのほとんどはメディアの報道に任されているということです。ところが、メディアの現状は今言ったように必ずしも満足できるものではありません。
 実は、それならいっそのこと自分自身でメディアを育てる現状がどうなっているのか体験してみよう、そして場合によったらちょっとハッパをかけてやろうと考えていたのです。それで、去年たまたま朝日新聞を読んでいたら、日本科学技術ジャーナリスト会議が科学ジャーナリスト養成講座を開講するという記事が出ていたので、「あっ、これだな」と思って、すぐにインターネットで調べてみたのですが、既に定員一杯で締切になっていました。仕方がないので、「今年は諦めるけれども来年開くときはぜひ塾に加えてほしい」と主催者にメールで伝えたところ、それを見た副会長の高橋真理子さんが経緯を記事にしてくれたりして、今は名誉会員ということになっています。自分がジャーナリストになるつもりはありませんが、今年はぜひ塾生として、科学ジャーナリストが育っていく現場の様子を見てみたいと考えています。
 

●進化する導電性プラスチック

 
  これからの高分子化学の方向を考えると、汎用樹脂としてのプラスチックの用途は絶対すたらないと思います。もちろん、ファイン化や改良は進むでしょうが、高強度、高弾性、耐熱性の樹脂、そういう材料としての高分子の役割はこれまでと変わらずに続いていくでしょう。
 導電性プラスチックに関しても実用技術の研究はさまざまな広がりを見せています。いま一番盛んなのは電子機器のキャパスタンス(蓄電器)で、導電性が極めて高いので非常に小型のキャパスタンスが作られていて、携帯電話をはじめあらゆる電子機器に使われています。
 このほかメモリーをバックアップするためのバッテリーや各種のセンサー、コンピュータスクリーンなどの静電防止材、透明電極などもありますが、最近アメリカなどで商品化されて注目されているのが、エレクトロルミネッセンス(発光)素子を利用したフルカラーのフラットパネルディスプレイです。これはデジタルカメラのディスプレイなどに利用されているもので、多分次の段階では携帯電話のディスプレイにも使われるようになるだろうと思います。バックライトを必要とする液晶パネルと違って、自ら発光するために格段に省エネ効果があり、しかも、基盤をガラスでなくポリエステルにするとクルクル巻き取ることができるようなディスプレイを作ることも可能です。実際に実験段階では曲げても光っていることが確認されています。
 それと、導電性プラスチックにドーピングすると体積が増えることを利用した新技術も新聞などで大きく取り上げています。ドーピングとは一般に薬品を加えることですが、この場合は電気的にドーピングする、つまり、電圧を加えたり、あるいは逆電圧を加えることで樹脂を伸び縮みさせることができるのです。ということは、人工筋肉としての利用が可能になる。バネとかモーターなどの金属に代わって、プラスチックで柔らかい人工筋肉を作ることができれば、ロボット、特に介護用ロボットに最適なのではないかということで、現在基礎研究が進んでいます。
 

●科学と社会のコミュニケーションに一役

 
  このように、導電性プラスチックひとつをとっても、その研究成果は私の想像しなかったようなところまで進んできています。そして一方では、かつて少年時代の私が夢見たような、これまでにない新しいプラスチックの開発もいろいろ行われています。
 最近おもしろいと思っているのは、珊瑚状に枝分かれするポリマーの開発です。これはデンドリマーとよばれるもので、実際には何に使えるかはまだ分かりませんが、いろいろな応用が考えられています。例えば、植物の光合成のように効率よく太陽光エネルギーを集める材料への応用です。この研究を進めていくと、植物の光合成を真似るような高分子が生まれるかもしれません。
 化石燃料を使うエネルギーはいずれは枯渇するし、原子力エネルギーも処理の問題があって無制限というわけにはいかない。いずれにしても、後世にツケをまわしているようなもので、化石燃料や原子力エネルギーから距離を置くとしたら、結局は太陽エネルギーしかあり得ません。もちろん太陽電池もその一つですが、より直接的に植物の光合成に学ぶことを真剣に考えるべきです。葉緑素が太陽エネルギーと水と二酸化炭素を使ってでんぷんや糖分を作るのと同じようなことが高分子化学で実現すれば、人間にとって計り知れない福音をもたらすことになるでしょう。
 こうしたことを考えると、科学がこれから先も国民が安心して暮らせる社会の構築に大きく貢献していくことは間違いありません。ただ大切なのは、科学技術は両刃の剣であることを科学者自身がもっと自覚した上で、社会に対して直接語りかけていくことです。それと同時に、10年後50年後を見通した科学技術の総合的な評価、論評、解説をもっと増やしていくことも重要で、繰り返しますが、そのためのメディアの役割はとても大きい。社会的な事件と変わらないぐらいの比重で継続的に報道することによって、国民の科学に対する理解力、科学リテラシーを養うことができるのではないかと思います。
 国民一人ひとりが、無制限に科学や技術を受け入れるのではなく、個人の立場である程度の批判をしながら取捨選択していくのが成熟した社会だと私は考えます。そのための科学と社会のコミュニケーションづくりに、私もできるだけ役に立ちたいと思っています。
 

 

■プロフィール 白川 英樹(しらかわ ひでき)
昭和11年東京生まれ。小学3年から高校卒業までの10年間を飛騨高山で過ごす。昭和36年東京工業大学理工学部化学工学科卒。昭和41年同大学院理工学研究科博士課程修了。工学博士。
東京工業大学資源化学研究所助手、米国ペンシルベニア大学研究員、筑波大学教授、同大学第三学群長などを務め、平成12年3月退官。同年10月、「導電性ポリマーの発見と開発」によりノーベル化学賞を受賞。また11月には文化勲章を受章。
その後も、平成13年〜15年まで内閣府総合科学技術会議議員として重点分野推進戦略専門調査会のナノテクノロジー・材料プロジェクトのリーダーを務めたほか、現在も科学と社会の関わりなどの問題で積極的な発言を続けている。日本化学会、高分子学会、電気化学会、各名誉会員、日本物理学会会員。主な著書に、『化学に魅せられて』(岩波新書)、『私の歩んだ道』(朝日選書)などがある。