1998年3月 No.24
 
リスク論から見るダイオキシン問題

 もっと冷静に、リスク&ベネフィットの視点で。産業界も正々堂々と情報公開を

 

 横浜国立大学教授・工学博士 中西 準子

●「リスク管理」のない日本

 
 現在のダイオキシン問題で私が最も強調したいのは、とにかくもう少し「冷静になれ」ということです。ダイオキシンが毒性の高い物質であることは間違いありませんが、毒性が高いことと人間の健康への影響とは別の問題として考えなければなりません。
 日本では、毒性の高い物質は即無くしてしまえとか、ハザード(害)の高いものは使わないことが一番だといった極端な議論に走りがちです。これを私たちは「ハザード管理」と呼んでいますが、しかし、物質そのもののハザードが大きくても、濃度が小さいとか、その物質にある程度の有用性があるといった場合には、人間の健康に与える影響の大きさ(リスク)を評価した上で、そのリスクを管理しつつ、ある程度使っていくほうが合理的と言えます。
 これが「リスク管理」の考え方ですが、残念ながら現在の日本には「ハザード管理はあるけれども、リスク管理がない」と言わざるを得ません。
 本当は物質のリスクの大きさに応じて対策や規制の在り方を考えなければならないのに、そこに毒物があるから全廃しろというのは実に安易な発言で、ダイオキシンのリスクが他のいろいろな物質のリスクの大きさと比べて、どれぐらい違うのかを全然研究もせずにそんなことを言うのは、学者として不勉強の極みだと私には思えます。
 マスコミにしても、ベトナム戦争の枯れ葉剤とかイタリアのセベソの火災事故(農薬メーカーの工場火災)とか、ダイオキシンとの関係が、必ずしもはっきり証明されているわけではない被害の映像を繰り返し映し出します。視聴者に毒性を実感させやすいという点で、そのほうが楽なのでしょうが、同時にこうした映像は、ダイオキシンの濃度が1億分の1、1兆分の1であっても同様の被害が起きるという先入感を定着させてしまう危険性を持っています。
 話は違いますが、イギリスでは狂牛病の問題で政府が牛肉の輸出を禁止した時、「ちゃんとリスク評価をしたのか」という社説がタイムスに掲載されたそうです。「確かに危険には見えるけれど、世の中には他にもたくさん危険がある。それらと比べて本当に禁止しなければならないほど危険なのかどうか、もっと冷静に考えるべきだ」というのがその趣旨で、この論調と比べれば、日本の現状がいかに極端に走り過ぎているかが分かるはずです。
 その物質のリスクが3なのか5なのか、あるいは10なのかを、定量的に評価して対応策を決めていく──このリスク管理の考え方こそ、いまの環境問題に最も求められているものです。リスクを大げさに言うことで問題を解決しようという時代は既に終わったのだということを理解してほしいと思います。
 

●安易な「母乳回避」はかえって危険

 
 もっとも、ちょっと前までの環境問題、公害問題の頃には「疑わしきは罰する」という考え方もそれなりに意味を持っていました。水俣で実際に人間が死んでいく、四日市では喘息患者が多発する、そういう極端なケースが目の前にあれば、水銀の毒性がすべて明らかになっていなくとも、多分そうだろうという推定でこれを禁止することは、ある程度意味があったと思います。
 しかし、いま起きている問題は、科学技術が進歩して非常に微量な物質でも検出できるというレベルに達している中で、なお「疑わしきは罰する」という考え方を適用してしまうことにあります。科学の状況が大きく変化したにもかかわらず、安易に昔の考え方を当てはめてしまう。ここがかつての公害問題と現在の環境問題との大きな違いで、注意をしなければならないところです。
 例えば、いまのダイオキシン問題で一番人々が心配しているのは母乳への影響ですが、「3ヵ月で授乳を止めろ」とか「母乳で免疫力が下がる」といった学説の根拠は非常にあやふやなものでしかありません。ひどいものになると、限られたデータを基に「IQが下がる」と指摘する学者さえいますが、これらの発言は、ダイオキシンの毒性を正確に把握もせずに「毒だから、ともかく止めろ」と言っているに過ぎません。
 にもかかわらず、みんなが学者の言うことを信用して、いますぐ母乳を捨ててしまったらいったいどうなるのでしょうか。母乳を止めて人工乳にするということは、人工乳にはない母乳の様々な利点までも捨てることを意味します。その損失に対する責任はいったい誰が取るのでしょうか。
 ここでどうしてもリスク評価という概念が必要になってくるのです。つまり、母乳のベネフィットを捨てる危険を冒さなければならないほど、ダイオキシンの毒性は高いのかどうかということを定量的に評価できなければ、安易に母乳を回避してはならないし、逆に「疑わしきは罰する」ことで、日本人の子どもが大きなリスクを負ってしまうことだってあり得るわけです。
 それに、大変残念なことですが、母乳の汚染は決していま始まったことではありません。母乳は、DDTやPCBといった、ダイオキシンと同等かそれ以上の毒性を持つ物質で長い間汚染されてきました。
 しかし、その汚染もここ20年〜30年で確実に減少しています。例えばPCBは、この25年の間にほぼ4分の1に、DDTはさらに高率で減少しました。つまり、ダイオキシンという新たなリスクは加わったものの、総体として母乳のリスクは低下する方向にあるということです。
 もちろん、母親に蓄積したダイオキシンが子どもに移るというのは迷惑な話ですから、できるだけ減らしていく努力はしていかなければなりませんが、少なくとも、もうちょっと余裕を持って落ち着いて考えましょうと私は言いたいわけです。
 

●大人のTDIを乳児に適用する矛盾

 
 とは言え、ダイオキシンのリスクを定量化するという作業は簡単なことではありません。私の研究も、残念ながら母乳や胎児への影響を明らかにするまでには至っていませんが、ただ、ひとつだけ言えることは、環境庁や厚生省が示しているTDI(耐容1日摂取量。環境庁の基準では体重1・当たり5ピコグラム、厚生省は10ピコグラム。1ピコグラム=1兆分の1グラム)は、一生涯その濃度を与え続けても癌や肝臓障害が起きないということを前提に割り出された数値であって、これを母乳のところで乳児に換算して「危険だ、危険だ」と大騒ぎするのは、ちょっとおかしいのではないかということです。
 体重の少ない乳児にTDIの数値を当てはめれば、当然1・当たり5ピコグラムとか10ピコグラムという摂取量を超えてしまうことになりますが、授乳期間というのはせいぜい半年か1年程度のことであって、そういう短期間にその量を与えたら危険だという科学的な証拠は、まだ見つかっていません。私も数字を見る限り、小さな乳児にそれだけのダイオキシンが与えられるのは何となく嫌だなという気になりますが、大人を対象にした長期のTDIを基準に子どもへの危険を云々するのは、やはり不適当だと思います。
 もちろん、母乳のリスクを評価するにはどうしても短期の影響を知らなければなりませんから、この点はこれから早急に調べてみる必要があります。いまのところ短期的な影響についての実験は世界的にもあまり多くありませんが、少なくともラットやマウスを使った実験では、それほど大きなリスクは認められません。
 オランダは非常に規制の厳しい国ですが、母乳については「そのベネフィットを考えると、いまは禁止するレベルにはない」という結論を出しています。牛乳の中のダイオキシンも、規制した結果少なくなってはいますが、これ以上減らすのは経済的なダメージが大き過ぎるので、現在のレベルでいいということになっているようです。
 このように、厳しいと言われる国でさえ、ひとつひとつの問題については経済評価も含めて現実的な対応をしているという点に注目してほしいと思います。
 

●大気よりも海底の土壌に注目

 
 日本のダイオキシンは、その9割ぐらいがごみの焼却炉から出ると言われていますが、その他にも別なルートがあるかもしれませんし、まだ正確なことは分かりません。
 現在のダイオキシンの発生調査は、ダイオキシンの出そうな場所を調査して、どこからどれだけ出ているかを明らかにするインベントリー・スタディーというやり方が主流になっていますが、私たちはこの9年ほど、リスク評価の視点からもうちょっと別の方法で調べたいと考えて、研究室を挙げてある調査に取り組んできました。それは、主に海底の土壌やセジメント(底質)など環境中にあるダイオキシンの量を調べて、それがどこから出てきたものなのかを推定する研究です。
 なぜそんなことをやるのかというと、日本のダイオキシン汚染は、牛肉や牛乳などの酪農製品が主な汚染ルートであるヨーロッパとは違って、かなりの部分が魚から来ていると考えられるからです。日本では土壌やセジメントが、発生源と汚染の中間にあるキーメディアになっており、長い時間をかけてそこに集まったダイオキシンが、魚を経由して人間に取り込まれるというルートのほうが、より重要な意味を持っています。
 つまり、私たちの研究は日本だからこそ重要な研究だと言えるでしょう。外国と同じようなことをやるのではなく、魚を多食する日本だからこそ、土壌やセジメントに注目する必要があるわけです。
 これに比べれば、大気中のダイオキシンを直接吸入する量はそれほど多くはなく、焼却炉の周辺の濃度が普通より高いことは確かですが、現在住民が心配しているほどの深刻な状況ではないと考えられます。むしろ、1日に300グラムとか500グラムとか魚をたくさん食べる人たちのほうが、その魚がたまたまダイオキシンに汚染されていたとすれば、リスクは高いはずです。
 ただ、これまでの研究では、20年、30年前から魚の中に汚染が蓄積されてきた割には、日本人は意外にその汚染を受けていないということも分かってきました。それは、日本人が食べる魚の7〜8割が輸入品で占められるという食糧の複雑な流通システムが、汚染のルートの一部を断ち切っているためだと考えられます。
 以上のように、一般に考えられている汚染のルートとは違う、従来は目に見えなかった部分が見えてくること、そして、どのルートを潰せば一番効果があるかということが分かってくる点に、私たちの研究の大きな意味があります。
 確かにダイオキシン汚染は減らさなければなりませんが、そういう日本の汚染の全体像を見極めた上でなければ、有効なダイオキシン対策は立てられないはずです。焼却炉の対策を立てるにしても、例えば、北海道などの非常に人里離れたようなところの焼却炉まで一律にダイオキシン規制をする必要があるのかどうか。そこはもうちょっと余裕を持って、東京のほうを早く減らそうとかリスク評価をすると、そういう方向がはっきり見えてくるのです。
 

●塩ビ業界もリスク管理の研究を

 
 それから、規制が必要な化学物質はダイオキシンだけではないということも大切な視点です。ダイオキシンにばかりお金を注ぎ込んでしまうと、かつて水銀だけに資金を投入し過ぎたために、その後長期間にわたって他のいろいろな化学物質の規制ができなくなってしまったのと同じようなことが起こりかねません。
  水銀の規制にあまりにお金がかかるので、企業も行政も懲りてしまって、他の物質に関するデータを出さないようになってしまったわけです。ある意味で、現在のダイオキシン騒動はその反動と言ってよく、これは企業や行政の責任でもあります。
 ダイオキシンのデータが、これまで少しずつでも公表されていれば、おそらくこんな騒ぎにはならなかったはずなのに、ぎりぎりまでデータを隠しておいて、ある時点で一挙に出してくるので、社会の関心がそこに集まって集中攻撃を招いてしまうのです。きちんと調べもしないで学校の焼却炉まで一律に禁止するとか、焚き火をしていても周辺の家から苦情が出るといった、一種のパニック状態が起きてしまう原因は、こうした行政や企業の対応の悪さにもあると思います。
 そう考えると、きちんとしたデータを随時公開しておくということが、長い目で見た場合いかに重要かが分かります。すべての化学物質にはそれぞれのリスクがあるのだということを社会が理解し、その中からどれを取るのが一番望ましいのかを判断するためには、産業界もダイオキシンや水銀だけでなく、できるだけ多くの物質についてデータを公開しておくことが必要だと思います。
 企業はしばしば、自分のところの製品や自社工場の周辺についてはリスクが全くないようなことを口にしますが、リスクゼロなどということは現実にはあり得ません。自分の問題と全体の問題を区別せずに、ひとつの原理で正々堂々と通していくという決意、そして、正しいものは正しい、悪いものは悪いとする潔さがなければ、社会を説得することはできません。
 自分に都合のいい時だけリスク、ベネフィット論を展開するのではなく、科学的なものの見方に対する信頼感と純粋さを常に持っていてほしいと思います。
 それと同時に、データを公開した時点でリスク評価ができる手法も開発しておくべきです。ダイオキシンが80ナノグラム出たら、その周辺への影響はどうなのか。大気の濃度はどの程度で、その大気を1日中吸っていたらどうなるのか。それは食べ物から取っている分の10分の1だとか20分の1だとか、そういったことが計算できる手法が重要になると思います。
 塩ビ業界も、塩素源となる物質のひとつである以上、自分には関係ないという姿勢ではなく、前向きに努力をしてください。
 塩ビとダイオキシンの関係については、私も現段階ではまだよく分かりませんが、少なくとも塩ビのパイプや建材などが、途上国を中心に依然として高いベネフィットを有していることは事実です。
 リスクデータをきちっと公表して、リサイクルなり適正な焼却処理なり、リスク管理の在り方をしっかり研究した上で、他の樹脂に代替した場合のコストの問題などを社会に説明していくことが大切だと思います。
 

 

■プロフィール 中西準子(なかにし じゅんこ)
 1938年、中国大連市生まれ。1961年、横浜国立大学工学部工業化学科卒。1967年、東京大学大学院工学系博士課程修了の後、東京大学工学部助手などを経て、1990年、東京大学環境安全研究センター教授。1995年4月から横浜国立大学環境科学研究センター教授を併任。同年、フルブライト上級研究員として米国オークリッジ国立研究所に滞在。1996年、横浜国立大学環境科学研究センター教授。専攻=環境工学。主な著書に『都市の再生と下水道』『下水道─水再生の哲学』『飲み水が危ない』『いのちの水』『水の環境戦略』『環境リスク論』などがあり、リスク管理の視点からダイオキシン問題に一石を投じる発言が、近年、社会の大きな注目を集めている。