1994年9月 No.10
 
環境問題への提言

 環境リスクと社会的利益のトータルバランスから製品を選択する社会へ

 

 青山学院女子短期大学教授 秋山 紀子

●不毛な議論の対立を越えて

 
  最近、経済団体の講演会などに招かれて話をする機会が多く、これからの企業活動にとって環境問題がいよいよ避けて通れないテーマになっているのだなということ強く実感しています。ただ、業界の人と話していて気づくのは、業界全体としても一企業としても、これから先いったいどういう方向に行ったらいいのかをなかなか見定められないでいるのではないかということです。私は、こうした閉塞状況の原因は日本の社会が環境問題について建設的な議論を積み上げてこなかった点にあると思います。
  これまでの環境問題は、常に消費者vsメーカーといった対立の図式の中だけで捉えられてきました。マスコミや消費者は化学製品の持つ環境へのリスクだけを取り上げてメーカーを批判する。これに対してメ−カ−は経済性や利便性を盾に反論するといった具合で、なかなか話が噛み合わない。ディスカッションに慣れていないという社会風土の問題もあるでしょうが、こうした不毛な議論の繰り返しだけでは、将来を見据えた有効な提言に結びつくはずがありません。
 

●全体を評価して価値を見極める視点

 
  私は水俣の問題から環境活動と関わるようになったのですが、この30年間の経緯を振り返ってみると、過去の化学業界に社会的批判のターゲットにされても止むを得ない面があったことは確かだと思います。その点では、消費者やマスコミが環境面のリスクを重視したくなる気持ちも十分に理解できます。しかし、化学製品が利便性や経済性といった面で利益(ベネフィット)を社会にもたらすこともまた否定できない事実です。現代の社会は好むと好まざるとに関わらず科学技術の上に成り立っています。とすれば、これからの環境問題は、リスクとベネフィットを対立テーマとして捉えるのではなく、それらを総合的に評価して製品の価値を見極めていくという視点の中からしか真に有効な解決策は生まれ得ないと言えるでしょう。
  私はあらゆる化学物質、化学製品は何らかの環境上のリスクを持っていると考えます。この認識は環境問題を論じる場合の大前提であり、これを否定しては話は前に進みません。問題はその製品が安全か否かということではなく、どの程度のリスクを持っているのか、そしてそれを使うことで社会がどんな利益を得るのかということです。こうした総合的な比較・検討を製品のひとつひとつについて実施して、そのバランスの中から製品の取捨選択を判断していく。私はこれこそが、今後の社会に最も求められる対応だと思います。
 

●自己点検と情報提供 −メーカーのなすべきこと

 
  では、そのために企業はいったい何をやらなければならないのでしょうか。それは、製品のリスクとベネフィットについて業界自身が客観的かつ厳正な自己点検を行って、その情報をきっちりと、決して自己弁護的にではなく、社会に提示することです。最近は、日本でもLCA(Life Cycle Analysis)ということが様々な場面で言われるようになってきました。これはひとつの製品について、原料採取から製造→流通→消費→廃棄、さらにはリサイクルに至るまで全段階の環境負荷を分析・評価する手法で、これまで経済性と利便性だけにしか重点を置いてこなかった製品の評価基準に環境の要素を大幅に取り入れようとするものです。例えば、日本生活協同組合などは既に独自のLCAを実施しています。私も日生協の環境事業の委員として提言したひとりですが、これは流通業界の試みとしては注目に値するモデルケースと言えます。
  しかし本当のことを言えば、こうした試みは流通業界だけでなく製造業界自身が真っ先に取り組まねばならないことなのです。環境リスクについて外では知り得ない正確な情報を持っているのは何といってもメーカー自身なのですから。それはベネフィットの部分についても同様であって、メーカーは製品の利便性や経済性は十分に研究しているはずです。私はそういう情報を社会に提供することが企業の責務のひとつだと思います。そして、それを土台に全ての関係者や市民が冷静に責任ある議論を行って、より環境負荷の少ない製品を選択していく、そういう社会的なコンセンサスを探っていくことが重要だと思います。
 

●社会が「それ」を選択する

 
  リスクとベネフィットのバランスをどう判断するかは社会状況によって異なるもので、必ずしもすべての国を同等に論ずることはできません。例えば、発展途上国の中には今でもDDTを使わざるを得ない国も少なくないし、レントゲンは妊婦への危険は大きいけれど重症の結核患者を抱えている国は使わざるを得ない。
  しかしいずれにしても、ある製品がリスク以上に人々の生活に欠かせないと判断されるならその社会がそれを選択すればいいのです(但し、メーカーはリスクを最小限に抑える義務を負っています)。あるいはまた、ある製品の使用を禁止してもその後により問題の多いものが代替物として登場する恐れがある場合には、
 多少のリスクがあってもそのリスクをモニターしつつ現在ある製品を使っていったほうが社会の利益は大きいという判断も成り立つでしょう。
 

●「社会の成熟」が前提条件

 
  もちろん、こうした判断が可能となるためには社会が十分に成熟していることが前提となります。市民もこれまでのような消費者被害論だけでなく、もっと環境学習などの努力を積む必要があると思います。
  また、行政にも大きな責任があります。特に、地域において環境問題の優れたリーダーを養成すること、それによってリスクとベネフィットをトータルに見つめられる科学性を持った成熟した社会を育てることが今後の重要な行政課題であり、既に埼玉県のように環境運動家を養成するための講義を連続して実施しているような自治体も現れはじめています。理想論かもしれませんが、こういう活動の中からやがては「成熟した社会」が育ってくるだろうと私は期待しています。
 

●プラスチック業界の活路を開く

 
  以上申し上げたことは塩ビなどのプラスチック類についてもあてはまることです。これまでの日本は、経済性、利便性というベネフィットが大きいので、多少のリスクがあってもプラスチックを使ってきましたが、その便利さが大量消費を生み、分解しないという化学的特性が逆に大きな環境問題を招いているのが現代の図式です。石油化学工業がこういう状況を乗り越えていくためには、やはり日本の社会状況の変化に合わせて業界自身が、プラスチックのベネフィットとリスクを改めて再点検していくしか活路を開く方法はないだろうと思います。
  そういう意味では現在塩ビ業界が独自に取り組んでいるというLCAの試みは評価に値するものです。塩ビは用途によっては今なお社会的に大きなベネフィットを持っています。製造エネルギーが少ないということも重要な利点でしょう。それは確かですが、同時に塩ビも環境リスクを持っています。もちろん、それは塩ビだけでなく他のプラスチックも同様であって、これらの点を業界自身がトータルにどう評価するのか。私も研究者としてぜひその情報を知りたいと思います。
 その結果、厳しい言い方をすれば、ある部分はより環境負荷の少ない製品で代替するほうがいいという判断も出てくるかもしれません。これからはそういう環境要素を含む総合評価からの選別が進むと思います。
 

●塩ビでなければ立ちいかない分野

 
  大切なのは、そういう将来に備えて今ある様々な用途の中から「塩ビを使わなければどうしても社会システムが立ちいかない」というポイントを探り、その理論を組み立てておくことです。そのためにはLCAも用途別に行う必要があるでしょう。塩ビでなければ不可能という独自の分野については、塩ビ業界の事業基盤も非常に強固なものになるはずです。それが石油化学業界のこれからの方向だと思います。そんなことをしていたら企業活動は維持できないと反論されるかもしれませんが、そうしないと5年後、10年後には事業環境はさらに厳しいものになるということを、ぜひ理解してほしいのです。これからの塩ビ業界の取り組みに期待しています。
 

 

■略歴 秋山紀子(あきやま・としことしこ)
昭和16年長野県生まれ。 45年東京都立大学理学研究科博士課程修了。 東京都公害研究所、京都大学防災研究所水資源研究センター客員教授など を経て現職。参議院第二特別調査室客員調査員。 主な著書に「人間と自然の事典」「水のソフトウエア」などがある。